西本監督時代とは? わかりやすく解説

西本監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:25 UTC 版)

オリックス・バファローズ」の記事における「西本監督時代」の解説

1963年 梶本隆夫プロ入りして初め勝利数二桁届かない5勝、米田哲也リーグ最多敗の23敗で、投手陣石井茂雄頼りという状況で、8連敗3度記録するなど、最終的に5792敗1分で首位西鉄から30.5ゲーム差最下位に終わる。 1964年 ダリル・スペンサーゴーディ・ウインディ加入し野球戦術熟知したスペンサー阪急に「考え野球」をもたらし、やがて来る黄金時代へと大きく貢献するチーム前半戦首位折り返し南海との首位争いとなり、8月に対南海戦3連敗2位落ち9月12日南海との首位攻防戦勝利し0.5ゲーム差としたが直後に3連敗9月19日東京オリオンズ戦に阪急負けたことで南海優勝最終的に3.5ゲーム差2位に終わる。 1965年 チーム前半戦だけで首位と27.5ゲーム差離され打線スペンサー頼みで、スペンサー7月にはサイクル安打達成し野村克也本塁打王争いとなるが、10月交通事故シーズンを棒に振る。チームは4位に終わる。この年初めドラフト会議が行われ、長池徳二住友平入団1966年 梶本隆夫9月27日15連敗記録するなどこの年は2勝止まりで、打線頼みスペンサー20本塁打63打点終わりチームも5位に終わる。10月14日監督西本幸雄信任投票事件起きて西本辞意表明し球団青田昇後任監督進めるが、それを聞いたオーナー小林米三が自ら西本説得し西本19日辞任撤回している。 1967年 スペンサー30本塁打長池徳二27本塁打するなど攻撃力アップ投手陣足立光宏20勝、米田哲也18勝、梶本隆夫15勝を挙げるオールスター前に2位に8ゲームをつけ首位10月1日、対東映フライヤーズ戦のダブルヘッダー西京極)では第1戦に勝利、第2戦は日没コールド負けとなるも、試合中2位西鉄敗れた為、球団史初のリーグ優勝達成する球団創立から32年目での初優勝日本プロ野球史上最も遅い記録となっている)。しかし初出場となる日本シリーズでは巨人に2勝4敗で敗退1968年 投手陣米田哲也29勝、打線ではそれまで9年間で8本塁打矢野清この年27本塁打で「10年目新人」と呼ばれる活躍見せる。チーム南海との首位争いとなり、10月11日の共にシーズン最終戦同率並び阪急は対東京戦(西宮)、2点ビハインドの9回裏に矢野同点打を放ち10回裏にサヨナラ本塁打勝利を収めている。阪急試合終了の8分後、同時に試合行っていた南海近鉄敗れたことで、2年連続優勝達成。しかし日本シリーズでも2年連続巨人に2勝4敗で敗退ドラフトで後に「花の(昭和44年組」と呼ばれることになる山田久志福本豊加藤秀司入団1969年 近鉄との優勝争いとなり、10月19日に対近鉄戦(藤井寺)に勝利して3年連続リーグ優勝達成長池徳二本塁打打点二冠王となる。しかし、日本シリーズ3年連続巨人に2勝4敗で敗退1970年 福本豊が一番に定着し初め盗塁王獲得しこの後福本13年連続で同タイトル獲得することになる。山田久志10勝を挙げるが、打線低調で4位に終わる。オフに、前広コーチの上田利治を打撃コーチとして招聘する1971年 オールスター前までに2位に6ゲーム差をつけ、オールスター直後ロッテ戦2連勝で差を広げるが、この直後8連敗した。それでも9月28日ロッテ戦勝利し2年ぶり4度目リーグ優勝達成長池徳二31試合連続安打記録するなどMVPとなり、山田久志最優秀防御率獲得新旧戦力がかみ合ったになった。しかし、日本シリーズ巨人4度目対戦で、第3戦で9回二死から山田王貞治逆転サヨナラ3ラン打たれ敗れるなど、1勝4敗で敗退オフには東映大橋穣種茂雅之らを阪本敏三岡村浩二佐々木誠吾との交換トレード獲得1972年 移籍大橋穣種茂雅之揃ってダイヤモンドグラブを獲得するなど、守備強化され福本豊シーズン盗塁数のメジャーリーグ記録当時)を上回る106盗塁挙げるなど、最終的に2位に14ゲーム差をつける強さで、9月26日南海勝利して2年連続5度目のリーグ優勝達成。しかし、5度目巨人との日本シリーズでは、2年連続1勝4敗で敗退V9時代巨人とはこれが最後の戦いとなったが、すべての年で3勝以上挙げられずに敗退しており、V9時代日本シリーズで最も多く巨人負けた球団となった1973年 この年よりパ・リーグ前・後期の2期制によるプレーオフ制度導入前期3位終わったものの、後期前期優勝南海12勝0敗1分として、他球団圧倒して10月5日優勝する阪急有利とみられた南海とのプレーオフは第5戦までもつれ、0対0で迎えた9回表2点取られて、3勝2敗で南海の「死んだ振り」に敗退し西本幸雄監督辞任西本後任にはヘッドコーチの上田利治が就任この年ドラフト会議作新学院高等部江川卓1位指名したが入団拒否

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西本監督時代

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大阪近鉄バファローズ」の記事における「西本監督時代」の解説

西本幸雄の下、リーグ初優勝遂げ長かった低迷期脱する。また仰木彬監督就任後毎年のように西武ライオンズとの激しペナントレース争いとなり、西本退任以降1982年から仰木彬指揮した1992年までではBクラス3度安定した成績保った1974年 監督就任した西本羽田耕一栗橋茂佐々木恭介平野光泰梨田昌崇若手選手鍛えてチーム力強化図った1年目は5位に終わりオフチーム主砲であった土井正博太平洋クラブライオンズトレード放出する1975年 初めて「優勝」(ペナント2期制度での後期優勝)を果たすが、プレーオフ前期優勝阪急に1勝3敗で敗れる。 1977年 4月26日、対ロッテ戦鈴木啓示球団初の通算200勝を達成近鉄入団生え抜き選手としては唯一の名球会入り選手となった南海日本ハムファイターズ勝ち越しロッテクラウンライターライオンズ10勝以上あげているが、首位阪急に6勝18敗2分と大きく負け越し前期3位したものの、後期最下位シーズン通しては4位に終わる。チーム盗塁120はリーグトップだったが、チーム打率は5位、チーム本塁打92本はリーグ最下位終わっている。 1978年 前期阪急次いで2位後期8月まで阪急首位独走していたものの、9月近鉄猛追一時首位に立つなど両チームマッチレースとなり、後期最終戦となる9月23日阪急との後期優勝をかけた直接対決迎えた近鉄勝てば後期優勝阪急はこの試合に勝ち、さらに残り2試合中1試合引き分け以上が優勝条件だった。近鉄この年25勝で最多勝鈴木啓示先発立てたが、山田久志とのエース対決敗れ逆転首位立った阪急次の試合にも勝って前期続き優勝決め近鉄2位終わっている。この年近鉄全球団に勝ち越したものの、阪急近鉄以外の4球団大きく勝ち越していたのが差となった1979年 前期5月までに2位阪急に5ゲーム差をつけ独走していたが、6月9日の対ロッテ戦チャーリー・マニエルアゴ死球を受け、戦線離脱阪急追い上げもあり、一時阪急マジック点灯するが、最終戦の対南海戦に引き分け前期優勝決めた後期2位となり、後期優勝阪急とのプレーオフとなるが、この年防御率1位の山口哲治の3連投活躍で3連勝し球団創設30年目にして初のリーグ優勝遂げる。当時12球団最後の初リーグ優勝近鉄初のリーグ優勝当時12球団において一度リーグ優勝経験する事となった)となった744511分、勝率.622は球団記録。但し年間勝率2位通過年間1位は阪急)だったことから、近鉄年間勝率1位通過経験する事なく、初リーグ優勝成し遂げた最初で最後球団となった2005年発足した東北楽天ゴールデンイーグルス2013年初のリーグ優勝達成した勝率1位通過しており、2022年現在近鉄唯一となっているが、現行のプレーオフ勝率1位を競うリーグ戦とは区別されているため、勝率2位通過以下でのリーグ優勝ケース現在のルール上で現れない)しかし、広島東洋カープとの日本シリーズでは第7戦の9回裏1点ビハインド場面で無死満塁一打逆転サヨナラ好機をつかむが、江夏豊前に阻まれ、3勝4敗で敗退江夏の21球参照)。 1980年 反発力高めた飛ぶボール効果もあり、この年本塁打打点二冠のマニエルをはじめチームから二桁本塁打10人を出す日本プロ野球新記録のシーズンチーム本塁打239本し、前年5月19日から9月29日まで日本プロ野球記録更新する215試合連続得点記録するチーム前期2位後期残り3節の時点で5位と追い込まれるがそこから巻き返し10月7日には後楽園球場で、マジック1で引き分けでも優勝決定という日本ハムとの直接対決6-5勝利し、続く8日11日の対西武ライオンズ2連戦にも勝利し逆転後期優勝ロッテオリオンズとのプレーオフも3勝0敗で制し2年連続リーグ優勝を果たすが、日本シリーズではまたしても広島に3勝4敗で敗退オフにマニエルが契約更改球団決裂し退団

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