蒲生氏鄕とは? わかりやすく解説

がもう‐うじさと〔がまふうぢさと〕【蒲生氏郷】

読み方:がもううじさと

[1556〜1595]安土桃山時代武将近江(おうみ)の人。初名は賦秀(やすひで)。キリスト教に入信織田信長豊臣秀吉仕え九州征伐小田原征伐の功により会津42万石(のち92万石)を領した


蒲生氏郷

作者幸田露伴

収載図書露伴小説 第5冊
出版社岩波書店
刊行年月1988.5

収載図書昭和文学全集 4
出版社小学館
刊行年月1989.4

収載図書ちくま日本文学全集 027 幸田露伴
出版社筑摩書房
刊行年月1992.3

収載図書福島県文学全集 第1期(小説編) 第2巻(大正編)
出版社郷土出版社
刊行年月2001.10

収載図書幸田露伴
出版社筑摩書房
刊行年月2008.9
シリーズ名ちくま日本文学


蒲生氏郷

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


蒲生氏郷

作者海音寺潮五郎

収載図書武将列伝 戦国終末新装版
出版社文藝春秋
刊行年月2008.6
シリーズ名文春文庫


蒲生氏郷

読み方:ガモウウジサト(gamouujisato)

作者 幸田露伴

初出 大正14年

ジャンル 小説


蒲生氏郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 07:06 UTC 版)

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。


注釈

  1. ^ ごく一部の史料には「賦綱」と書かれている。
  2. ^ の読み方については諸説あり、「やす」(改定史籍集覧版『氏郷記』)、「ます」(幸田露伴『蒲生氏郷』)、「かす」(内閣文庫蔵写本『氏郷記』)、「ふす」(『蒲生軍記』)、「たけ」(盛岡市中央公民館蔵写本『氏郷記』)、「のり」(『藩翰譜』)などが伝わる。なお、『蒲生氏郷記』は初名は「教秀」で後に「賦秀」に改めたと伝え、現存する古文書では忠三郎の名は確認できるものの、賦秀の名が登場するのは天正10年(1582年)以降である[10]
  3. ^ 信楽院にはその時に氏郷が使用した金押しの甲冑・兜・太刀の一部が伝存している。
  4. ^ 月日は不明であるが、6月18日から9月3日までの間とされている[17]
  5. ^ これ以前は棒の先に熊の皮を巻きつけた馬印を使っていた。
  6. ^ 現存する5層の復元天守は寛永年間に改築されたものを元にしている
  7. ^ 参議であるだけではなく、石高が91万9,320石で「武家清華」である徳川・毛利に次ぎ、同じ「武家清華」である上杉・前田より大領である。氏郷も「武家清華」になった可能性がある。[50]
  8. ^ 共筒に氏郷自筆で「もしほたれつつ」の銘あり。これは在原行平の「わくらばに 問う人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶとこたへよ」の第4句から取っている[58]
  9. ^ 但し、実枝は内府であり、宗養は永禄6年(1563年)に死去しているので、氏郷の記憶違いの可能性がある。
  10. ^ なお中世社会において風呂の饗応という場を概観する限り、風呂と共に茶湯や食事の用意がされることは特殊なことではない[85]

出典

  1. ^ a b c d 今村, p. 115
  2. ^ a b c 藤田, p. 88
  3. ^ 佐藤信、五味文彦他『詳説日本史研究』山川出版社、2017年、227頁。 
  4. ^ 今村, p. 10.
  5. ^ 池内昭一「蒲生氏郷の出自と家柄」(高橋富雄編『蒲生氏郷のすべて』新人物往来社、1998年)30頁
  6. ^ a b , p. 10.
  7. ^ 藤田, p. 45.
  8. ^ a b c d e 今村, p. 50
  9. ^ a b 『文禄二年(1593年)9月18日付伊藤盛景宛書状』
  10. ^ , p. 9-10
  11. ^ 今村, p. 53.
  12. ^ 渡辺江美子「織田信長の息女について(『国学院雑誌』89巻11号、1988年)
  13. ^ 和田裕弘『織田信長家臣団の女性たち』(『歴史読本』54巻4号、2009年)
  14. ^ 今村, p. 54.
  15. ^ 今村, p. 56.
  16. ^ 今村, p. 72.
  17. ^ 藤田, p. 48.
  18. ^ 盛本昌弘『本能寺の変 史実の再検証』(東京堂出版、2016年)の説。
  19. ^ a b , p. 14.
  20. ^ 今村, p. 88.
  21. ^ 今村, p. 103.
  22. ^ 今村, p. 99.
  23. ^ 村川, p. 27.
  24. ^ 神田千里「伴天連追放令に関する一考察」『東洋大学文学部紀要』史学科篇37号(2011年)
  25. ^ 清水有子「豊臣秀吉政権の神国宣言」『歴史学研究』958号(2017年)
  26. ^ , p. 16.
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  28. ^ a b 今村, p. 118
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  30. ^ 今村, p. 16; 村川, p. 36.
  31. ^ 藤田, p. 103.
  32. ^ , p. 15.
  33. ^ 今村, p. 151.
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  37. ^ 伊藤真昭「蒲生氏と豊臣政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第二節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5) 2021年、P126.
  38. ^ 今村, p. 203.
  39. ^ 『藩史物語2』より「会津藩年表」(講談社、2010年)
  40. ^ 今村, p. 201.
  41. ^ 中西裕樹「蒲生氏郷と黒田官兵衛―右近と豊臣政権のキリシタン武将―」(同編『高山右近-キリシタン大名への新視点―』宮帯出版社、2014年)91頁
  42. ^ , p. 19・23-24.
  43. ^ a b 今村 204
  44. ^ 『福島県史二 近世一』(1971年)
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  46. ^ 高橋充「大崎・葛西一揆に関する一考察―新出の蒲生氏郷書状を手がかりに―」(『国史談話会雑誌』37号、1997年)
  47. ^ 高橋充「南奥羽の蒲生領の支城配置」(藤木久志・伊藤喜良編『奥羽から中世をみる』吉川弘文館、2009年)307-309頁
  48. ^ 小林清治『奥州仕置と豊臣政権』(吉川弘文館、2003年)361頁
  49. ^ 今村, p. 200.
  50. ^ a b 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」(『駒沢史学』80号、2013年)
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  52. ^ a b 今村, p. 217
  53. ^ a b 宮本, pp. 15–18.
  54. ^ 本郷和人『戦国武将の選択』(産経新聞出版社、2015年)200-203頁
  55. ^ 桑田, p. 458.
  56. ^ 今村, p. 132.
  57. ^ 東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 竹茶杓(たけちゃしゃく)
  58. ^ 野村美術館学芸課編集 『野村美術館名品図録(新版)』 財団法人 野村文華財団、2008年4月1日、p.165
  59. ^ a b 桑田, p. 444頁
  60. ^ 桑田, pp. 444–445.
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  62. ^ 今村, pp. 25, 126.
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  70. ^ 今村, pp. 132–133.
  71. ^ H・チースリク「キリシタンとしての蒲生氏郷」(高橋富雄編『蒲生氏郷のすべて』新人物往来社、1988年、58-59頁)
  72. ^ 海老沢, pp. 118–119.
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  74. ^ 海老沢, p. 119.
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  76. ^ ヨハネス・ラウレス「高山右近と蒲生氏郷」(同『高山右近の研究と史料』六興出版社、1949年)
  77. ^ 宮本義己「豊臣政権の医療体制-施薬院全宗の医学行跡を中心として-」(『帝京史学』2号、1986年)
  78. ^ 木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)290頁
  79. ^ a b c 今村, p. 218、藤田, p. 167
  80. ^ 今村, p. 218.
  81. ^ 藤田, p. 34.
  82. ^ 今村, pp. 129–130; 藤田, p. 51.
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  86. ^ 藤田, pp. 89–90.
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  91. ^ 今村, p. 138.
  92. ^ 伊藤真昭「蒲生氏と豊臣政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第二節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P106-108.
  93. ^ 藤田, p. 168.
  94. ^ ザ・AZABU 第44号”. 港区麻布地区総合支所. 2020年11月7日閲覧。
  95. ^ 蒲生氏郷公像”. 日野観光協会. 2022年2月7日閲覧。


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蒲生氏郷

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バサラ (栗本薫)」の記事における「蒲生氏郷」の解説

会津若松領主偉丈夫にして美丈夫

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蒲生氏郷

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決戦III」の記事における「蒲生氏郷」の解説

史実では信長娘婿。「関ヶ原突破戦」においてお市兵士数が1,600を下回らずクリアすると合戦後評定加入する主な兵種槍足軽武将系統は「万能」。

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蒲生氏郷

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殿といっしょ」の記事における「蒲生氏郷」の解説

幼名鶴千代世に比類とも無き名将だが、目つき異常に怖く自覚なく周囲亡霊妖怪呼び寄せる。それらを呼び寄せていないときでも、周囲には大抵、火の玉浮いており、自身が話す「面白い話」やたとえ話もホラータッチになってしまう。また、ナマズの髭のような異常に長い一対まつ毛をもつ。信長にはその目つきをかなり気に入られて「将来娘を嫁にやる」と言われたほどだが、秀吉にはものすごく怖がられ、それが理由東北追いやられる。しかし、本人秀吉から熱心にお笑い学んでおり、秀吉のもとを離れることを、泣いて辛がっていた。そしてその後秀吉恐怖抱かせるような言動何度もとってしまい、ついには出入り禁止させられた。農民がその目つき一揆首謀者自白してしまったときも氏郷の部下に「仕方ないさ、拷問みたいなもんだから」と慰められるほど(当の本人は「誠意持って接したから話してくれた」と勘違いしている)。

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蒲生氏郷(人型メカ・蒲生賢秀の強化版)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 03:52 UTC 版)

婆裟羅2」の記事における「蒲生氏郷(人型メカ蒲生賢秀強化版)」の解説

27歳史実違い本作登場する氏郷は女性である。家名存続のために人質として養子入り男顔負け強さ見せる。その性格から堀秀政とは仲のいい喧嘩友達である。文武両道器量抜群織田家家中愛されている。

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蒲生氏郷(がもう うじさと)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 00:37 UTC 版)

利休にたずねよ」の記事における「蒲生氏郷(がもう うじさと)」の解説

会津城主。利休弟子で、秀吉に近い。

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