小川祐滋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 04:14 UTC 版)
小川 祐滋(おがわ すけしげ)は、安土桃山時代の武将、大名。伊予今治の国分城主。通称は左馬助。別名で忠有あるいは良氏ともいう。茶人としては兼々庵を名乗った。
- ^ a b 長男または次男という。彦根藩の筋奉行に小川半左衛門が提出した由緒書では、光氏が長男、良氏(祐滋)が次男、実乗が三男となっている。『國領系図』では、左馬介良氏が嫡子で壱岐守光氏を弟としている。しかし異母兄弟であるということならば、嫡出を先に書いたということかもしれない。
- ^ 二男または三男。出家して、石清水八幡宮社の瀧本坊の住持となった。
- ^ a b 大橋金造 1928, p.457
- ^ 小川土佐守祐忠の長男は千橘といって、関ヶ原で改易となった後に、萬屋の屋号を用い、「萬屋平右衛門」と名乗って、京都二条で米穀商や両替商、木楽屋などを営んで成功を収め、寛文年間に二条陣屋を預けられるほどの豪商となったという伝承がある。ただし、祐忠に「千橘」という名の子はおらず、光氏と良氏(祐滋)は共に慶長年間に病死したとされており、史料とも整合性がないので、商家の家伝として創られたものであろう。
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