華尃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 華尃の意味・解説 

華佗

(華尃 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 07:28 UTC 版)

華 佗(か だ、? - 建安13年(208年[注 1])は、中国後漢末期の薬学鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な医師[1]元化は不明[注 2]本貫豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区。また河南省商丘市永城市という説もある)。「華陀」とも書く[注 3]。高き医を積みつつも権力に屈する事を拒んだ為、非業の死を遂げたとされる。


注釈

  1. ^ 110年頃生まれ、207年洛陽で亡くなったとも書かれる[1]。また、他にも、140年生まれ、141年生まれ、145年生まれなどの説がある。
  2. ^ 三国志』魏書・華佗伝に引く裴松之の言では、華旉(教化を敷く意義)で、字の元化(大いなる教化の意義)と関連があり、そのため諱は「旉」が正しいと述べている。
  3. ^ なお、「華佗」とは中世ペルシャ語で「閣下、先生、師匠」などを意味する「ファディー(Xwaday)」または「ファダー(Khwada)」の音写であるという説が提唱されている[2]
  4. ^ 虎・鹿・熊・猿・鳥の5種類があり、華佗の弟子の呉普がこれを実行していたところ、90歳になっても丈夫な体を保てたという(『後漢書』方術伝)。
  5. ^ 関羽を治療する際に華佗が青い袋を持って訪れた、という描写がある。

出典

  1. ^ a b c オールドリッジ 2014, p. 90.
  2. ^ 松木 1983, p. 198-199.
  3. ^  魏書·方技傳 (中国語), 三國志/卷29#華佗, ウィキソースより閲覧。  - 華佗字元化,沛國譙人也,一名旉。遊學徐土,兼通數經。沛相陳珪舉孝廉,太尉黃琬辟,皆不就。
  4. ^ 江上波夫『華佗と幻人』石田博士古稀記念事業会〈東洋史論叢〉、1965年。 
  5. ^ 伊藤義教『ペルシア文化渡来考―シルクロードから飛鳥へ』岩波書店、1980年、57頁。 
  6. ^ 井本英一『古代の日本とイラン』学生社、1980年1月1日、11頁。ISBN 4311200382 
  7. ^ a b 松木明知 (1983年10月). “欽明朝に来日した百済の医師王有稜陀について” (PDF). 日本医史学雑誌 29(4) (日本医史学会): p. 447-448. オリジナルの2022年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220302112544/http://jsmh.umin.jp/journal/29-4/447-454.pdf 


「華佗」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

華尃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



華尃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの華佗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS