理論家にして著作家とは? わかりやすく解説

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理論家にして著作家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:51 UTC 版)

フリッツ・フィッシャー (歴史学者)」の記事における「理論家にして著作家」の解説

第二次世界大戦後フィッシャーそれまで自分信じてきたことを再検討し国家社会主義についてフリードリヒ・マイネッケ歴史家たちが提示していた、ヒトラー出現歴史における単なる「事故」(Betriebsunfall)であったのだ、とする、広く受け入れられていた説明受け入れることはできない結論づけた。1949年ミュンヘン開催され戦後最初ドイツ歴史学会議において、フィッシャードイツ人の生活に根ざすルター主義的伝統を強烈に批判し個人の自由犠牲の上国家存在讃美しナチス・ドイツ出現手助けした、としてルター派教会糾弾したフィッシャーは、ルター派教会あまりにも長い間、神が承認した無謬体制として国家讃美してきたことが、国家社会主義への道を整えたのだと主張したフィッシャーは、当時ドイツ広く行われていた、ナチス・ドイツヴェルサイユ条約帰結であるとする議論一蹴しナチス・ドイツ起源1914年よりさらに遡るものであり、ドイツ権力エリート長年にわたる野望結果である、と論じた1950年代に、フィッシャードイツ帝国政府保存公文書全て目を通した最初の歴史となったこのため、(ドイツ系アメリカ人のクラウス・エプスタインが記すように)1961年フィッシャーが自らの発見公刊したとき、第一次世界大戦責任と(ドイツ戦争目的記した)「9月計画」をめぐって刊行されてきた全ての書物は、即座に時代遅れになった1961年、既にハンブルク大学教授昇任していたフィッシャーは、戦後最初著作となる『世界強国への道: ドイツ挑戦, 1914-1918年 (Griff nach der Weltmacht: Die Kriegzielpolitik des kaiserlichen Deutschland 1914–1918)』を刊行しその中でドイツ世界強国となることを目指し第一次世界大戦意図的に引き起こしたのだと主張して史学界を揺さぶった。この本の中でおもに関心寄せられているのは、ドイツ国内圧力集団ドイツ外交政策形成過程演じた役割であり、ドイツ社会の中の様々な圧力集団が、東欧アフリカ中東へ攻撃的な帝国主義的野心をもっていたことをフィッシャー主張したフィッシャー見解では、ヨーロッパ大部分アフリカ併合することを求めた1914年9月の「9月計画」は、ドイツ国内ロビイスト集団からの多様な領土拡大要求の間に妥協点見出そうとする試みであったフィッシャーは、1914年夏のフランツ・フェルディナント大公暗殺によって生じた危機ドイツ帝国政府意図的意識的に利用し、既に策定されていた対仏・露戦争の計画実施してドイツ支配下の「中央ヨーロッパ (Mitteleuropa)」、ドイツ支配下の「中央アフリカ (Mittelafrika)」を実現しようとしたのだ、と論じたフィッシャーは、この時点ドイツ政府イギリスとの戦争望んでいなかったとしているが、「中央ヨーロッパ」と「中央アフリカ」の追求のためには危険を冒す準備があったと主張した。 『世界強国への道』に先んじて1959年にその端緒となる論文が『史学雑誌 (Historische Zeitschrift)』に掲載されたが、そこでは、やがて『世界強国への道』へと拡張され議論公表されていた。フィリップ・ボビットは、その著書The Shield of Achilles: War, Peace, and the Course of History』で、第一次世界大戦ドイツ意図的な故意による政策ではなくある種の「恐ろしい過ち」だったのだ、とする見方は、フィッシャーのこの論文発表後持ちこたえることが不可能になった」と述べている。 大方のドイツ人にとって、ドイツ第二次世界大戦引き起こしたのだという考え方受け入れられるものであったが、第一次世界大戦についてはそうではなく当時はまだ、ドイツにとっては押し付けられ戦争であった広く認識されていた。フィッシャーは、ドイツ帝国宰相テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク博士が、1914年ベルギー全域フランス一部ロシアヨーロッパ部の一部併合する計画練っていたことを示す文書公表した最初ドイツ人歴史家であったフィッシャーは、1900年から第二次世界大戦まで、ドイツ外交政策には一貫した継続性があったことをほのめかしドイツ二度の世界大戦両方責任があることを示唆したこうした発想は、その後著作群、 『Krieg der Illusionen (幻想戦争)』、『Bündnis der Eliten (エリート同盟)』、『Hitler war kein Betriebsunfall (ヒトラー事故ではない)』などへと展開されていったフィッシャードイツ帝政期専門家であったが、その業績は、第三帝国外交政策をめぐるナチス外交政策論争においても、重要なものとなった。. フィッシャーは、1961年著書幻想戦争』で、1911年から1914年までのドイツ政治詳細な検討行いドイツ外交政策について「Primat der Innenpolitik (国内政策優越)」の観点からの分析提示したフィッシャー見解では、ドイツ帝国は、国内における民主化要求高まりから危機的状況となっており、国外へ攻撃的な拡張主義政策によって民主化闘争から民心離れさせることを狙った考えられている。 フィッシャーは、ドイツ人歴史家として最初に否定的な観点からの「ドイツ特有の道 ("Deutscher Sonderweg")」論によるドイツ史解釈支持した。これは、宗教改革以降の(あるいは、もっと遅い時期例え1871年ドイツ帝国成立以降の)ドイツ文化社会発展が、必然的に絶頂達したのが第三帝国であったとする立場であったフィッシャー見解では、19世紀におけるドイツ社会は、経済的にも、産業的に前進していたが、政治的にはそうではなかったとされるフィッシャーにとって、1914年以前ドイツ外交政策は、社民党への投票から別のことへと民衆関心逸らしフランスイギリスロシア犠牲の上ドイツ世界で最も偉大な強国にすることを目指す反動的なエリートたちの尽力によって動かされたものであった第一次世界大戦引き起こしたドイツエリートたちが、ヴァイマル共和政失敗引き起こし第三帝国招き入れたのであるそうした伝統的なドイツエリートたちは、フィッシャー分析では、人種主義帝国主義資本主義イデオロギー支配されており、ナチ党信条変わらないものであったこのためフィッシャーは、宰相ベートマン・ホルヴェーク1914年の「ヒトラー」と呼んだこうしたフィッシャー主張には、1960年代初めにゲルハルト・リッターリーダーとする歴史家たちが反論試みいわゆるフィッシャー論争」が引き起こされた。しかし、オーストラリアの歴史家ジョン・モーゼズが1999年記したところによれば、フィッシャー持ち出した公文書類証拠は、大きな説得力をもってドイツ第一次世界大戦責任があることを示していたという。1990年エコノミスト誌は、なぜ東欧人々ドイツ再統一展望怖れているのかを検討するなら、フィッシャーの「十分な証拠文書裏付けられた」本を精読することだ、と読者薦めたフィッシャー分析モデルは、ドイツ歴史学革命もたらしたフィッシャーの「国内政策優越」という経験則発見は、ドイツ外交政策国内圧力集団持ち込んだインプット」や、ドイツエリートたちの帝国主義的理念とそうしたインプット」との相互作用検証を通じて帝政期ドイツ外交政策全面的な再検討を強いるものとなった加えてフィッシャー発見によって、戦争訴えることを記したドイツ帝国政府公文書中に当時ロシアポーランド民族浄化と、ドイツの「生存圏確保のためドイツ人の入植目指す記した文書公になると、多く論者が、第二次世界大戦においてナチス目指し同様の計画は、アドルフ・ヒトラーだけの考えではなくヒトラー以前遠く遡るドイツ人たちが広く抱いてきた念願反映したものであった議論するようになった1960年代には、前述ゲルハルト・リッターはじめドイツの歴史家の多くが、ヒトラー単なる歴史上「事故」過ぎずドイツの歴史本質的なつながりはないのだ、と好んで論じ傾向にあったが、彼らはフィッシャーによるこうした公文書発掘公表激怒しフィッシャー業績を「反ドイツ的」であると攻撃した

※この「理論家にして著作家」の解説は、「フリッツ・フィッシャー (歴史学者)」の解説の一部です。
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