理論化の開始・1970年代後半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 21:20 UTC 版)
「フェミニスト映画理論」の記事における「理論化の開始・1970年代後半」の解説
このころまで「フェミニスト映画理論」や「フェミニスト映画批評」をうたう研究はまだ理論としての明確な構造をもっていなかったが、1970年代半ばからイギリスの研究者を中心に新しい枠組みが提案され、急速に研究が進展する。 とくにフェミニズム批評の枠を超えて世界の映画研究に決定的な影響を及ぼしたのは、イギリスの映画研究者であり実作者でもあったローラ・マルヴィ (en) が発表した論文「視覚的快楽と物語映画」(1975)である。 マルヴィはこの論文でハリウッド映画、とくにヒッチコックの作品を題材に、物語映画(長編映画・劇映画)がなぜこれほど多くの人を惹きつけ社会的に大きな影響力を行使しうるのか、またそうした現象が社会でどんな役割を果たしているのかという問いに対し、次の三つの仮説を提示してみせた。 1:映画が魅力的なのは強い「視覚的快楽」を提供するからだが、それは「のぞき見る」快楽である。 2:誰が何をのぞき見るのか。「男」が「女」をのぞき見るのである。 3:そうした構造の映画は、女性を含む観客の間に伝統的な性区分にもとづく家父長制を再生産する役割を果たしている。 このマルヴィの論文は、当時のイギリスの空気を反映して「映画研究を政治的武器として用いる」ことを明確にうたい、多くの追随者を生んだ。 また、マルヴィがここで「のぞき見る」構造を分析するさいにラカン派の精神分析手法を導入したことは精神分析にもとづく映画理論の登場をうながし、さらに「女性観客の役割」を分析対象としたことは映画の社会的役割という「観客(スペクテイター)」理論の登場をもうながすことになった。こうしたことから、マルヴィの論文は、これに先立って試験的に精神分析手法の導入をこころみていたクレア・ジョンストン (en) の論文「カウンターシネマとしての女性映画」(1973)とともにフェミニズム映画理論の研究を急速に進展させるきっかけとなった。
※この「理論化の開始・1970年代後半」の解説は、「フェミニスト映画理論」の解説の一部です。
「理論化の開始・1970年代後半」を含む「フェミニスト映画理論」の記事については、「フェミニスト映画理論」の概要を参照ください。
- 理論化の開始・1970年代後半のページへのリンク