物議を醸した発言
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「シルヴィオ・ベルルスコーニ」の記事における「物議を醸した発言」の解説
非常に陽気であり、冗談を言うことが好きな性格である。また饒舌な語り口による演説を得意とし、学者や官僚出身の政治家と異なり親しみやすい態度を見せることで資産家でありながら労働者階級に絶大な人気がある。一方で周囲に無配慮な発言も多く、批判の対象ともされる。 アメリカ同時多発テロ事件の直後には「まず我々は、西洋文明がイスラム圏のそれより優れているということを肝に銘じておく必要がある。残念ながらムスリムは1400年前の価値観に留まっており、西洋世界はムスリムや共産主義者にはない、自由を愛する原則と価値観を護らねばならない」と発言して物議を醸した。 "con la sinistra al potere, miseria terrore e morte"(左翼が権力を握ると悲惨、恐怖、死が来る)と主張し、一方でイラクのサッダーム・フセイン大統領と比較して「ムッソリーニは政敵を殺したり引退させたりしなかった。離島に追放しただけ」と発言した(実際、ヒトラーやフセインと比較して、ムッソリーニが政治犯を処刑する事は殆どなかった)。イタリア国内でイラク戦争に加担することはほとんど支持されていないのに、あえてその方針をとったことに対して聞かれると「アメリカに逆らうことは政治的自殺に等しい」と率直に答えた。 2003年7月:EU議長国の演説で、彼を批判したドイツのマルティン・シュルツ議員に対し、「私はナチス時代のドイツの強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ」と発言した。 2005年:フィンランドのスモークトナカイについて「パルマ産のハムのほうが比べ物にならないほど美味い」と発言し、フィンランド人を怒らせた。なお2008年、アメリカで行われた料理の国際コンペティションで、フィンランドのピザがイタリアをおさえ優勝したが、このピザレストラン・コティピザでは、トナカイを使ったピザに「ベルルスコーニ」と名づけている。 2006年3月25日:「毛沢東時代の中国で、共産党は赤ん坊を煮て肥料にした」と発言。中華人民共和国から抗議をされたが謝罪を拒否した。 2006年4月:総選挙を前に「わたしは我慢強い犠牲者。この身を投げ出し、すべての人々のために犠牲になる自分はまるでイタリア政界のイエス・キリストのようだ」と述べた。先日、自身をフランス皇帝のナポレオン・ボナパルトと比較し、話題になった矢先のことだった。 2006年4月:「選挙期間中はセックスを断ちます」と公に宣言した。投票を1週間後に控えていたため、事実上1週間だけの禁欲宣言だった。 2008年4月15日:記者会見で、スペインの閣僚の過半数が女性になったことに対して「ピンク過ぎる。イタリアではありえない。イタリアは優秀な男性であふれているし、閣僚にふさわしい有能な女性を見つけるのは容易ではない」と発言。 2008年11月6日:ロシア訪問中の記者会見で、2日前にバラク・オバマがアメリカ大統領選に勝利した話題に触れ「メドベージェフがロシアの大統領になり、他方オバマがアメリカのトップになったということは、とてもいいターニングポイントです。これが相互関係をより容易くすることは間違いありません。私は大統領(メドベージェフ)にオバマが彼と合意に至るに際し、必要な条件をすべて兼ね備えているということを申し上げました。オバマは若く、ハンサムで、そして日焼けまでしています。ですから高度な協力関係に発展するでしょう」と述べた。その際、イタリア人関係者は大笑いし、隣に座っていたメドベージェフも一瞬笑ってしまったが、なんとか冷静さを保った。この会見で、メドベージェフ大統領は重要なエネルギー問題について述べたが、ベルルスコーニの上記のコメントにより、メディアには完全にスルーされてしまった。その後、野党議員たちからは「良くても配慮に欠ける発言、悪ければ人種差別だ」と批判された。 別の場面で失業者のことに関して意見した際、その発言の趣旨がオバマ大統領のものと似ていることを、記者に指摘され、彼との違いを際立たせるために、「私の方が色は白い。まあ、長いこと日光浴してませんから。オバマのほうが私よりもハンサムで若く、背も高い」と述べた。 2009年9月27日:演説で「アメリカ合衆国の誰かさんから祝電が届いております。何て名前だったっけ? あの日焼けした男。ああ、バラク・オバマだ!」と、再び「日焼け」という言葉を使った。また、ミシェル・オバマ大統領夫人に関しても「君たちは信じないだろうけど、2人でビーチに行ったんだ。なぜなら奥さんも日焼けしているからね」と語った。なお、同月に行われたG20ピッツバーグ・サミットの開幕レセプションで、ミシェル夫人は多くの首脳とキスや抱擁を交わしてあいさつしたが、ベルルスコーニには握手だけで対応した。 後日、上記の”日焼け発言”について自身を批判した人たちを「大馬鹿者」と呼び、あれは「ほめ言葉」だったと反論した。そして、「われわれは皆、ナオミ・キャンベルやオバマのような日焼けに憧れている」と発言した。 フランスのサルコジ大統領の夫人カーラ・ブルーニがイタリア系であることを挙げ、サルコジに対し「あなたの妻は私があげた」と発言した。ベルルスコーニと極めて親しい関係にあるサルコジも、さすがに不愉快そうな表情になったという。 2009年4月:イタリア中部地震発生の際、家を失くした人々の被災者キャンプを見て、「キャンピングホリデー」と発言し、被災者の怒りを買った。また被災者キャンプで医療活動に従事していた女性医師に対し「あなたからの蘇生措置なら喜んで受ける」と言い、そこにいた黒人牧師に対し「いい感じに日焼けしてますね」と発言した。 2010年11月2日:ミラノで開催中のバイクフェアで「ゲイになるより、美しい少女が好きな方がいい」とスピーチ。同性愛者の権利団体から抗議されたほか「同性愛者と女性の両方を侮辱している」として数十人が首相官邸前でデモを行う騒ぎとなった。 2013年11月6日:同日に公開されたインタビューで「私の子供たちは、ドイツのヒトラー政権下のユダヤ人家族のように感じていると私に言った。世界全体が私たちにつらく当たっている」と述べた。
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物議を醸した発言
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「加藤紘一宅放火事件」の記事における「物議を醸した発言」の解説
自民党衆議院議員の稲田朋美が、2006年(平成18年)8月29日に「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」が「新政権に何を期待するか」と題して、東京都内で開いたシンポジウムの席上、加藤と対談したことを紹介しこの事件について、「対談記事が掲載された15日に、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話したと報じられた。政界の陰陽師と言われた富士谷紹憲は、小泉純一郎の靖国神社参拝を支持する者の怨霊が放火犯人を使ってやらせた、その意味では、犯人も被害者である、と主張した。
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物議を醸した発言
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『ファッショは始まっている』で著者のオウム真理教青山吉伸弁護士と対談。オウム真理教国土利用計画法違反事件について教団を擁護し国家権力を非難する。また『週刊金曜日』1995年2月24日号と3月3日号に「拉致された坂本弁護士の周辺にただよう権力介在も疑惑」を寄稿。失踪する以前の坂本堤弁護士が国鉄分割民営化問題を手がけていたことから、坂本堤弁護士一家殺害事件は「国家権力による拉致事件であり、オウム真理教は関係ないと断言できる」と発言した。
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