物議を醸した報道
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1997年(平成9年)7月15日付の紙面にて、燕市の一部地域で、神戸連続児童殺傷事件の加害者少年(当時14歳)の顔写真を掲載した写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)のページをコピーしたものが、回覧板に挟まれて回されていたことを報じたが、その記事には回覧されていた顔写真入りのコピーがそのまま掲載されていた。これを受け、翌16日付の紙面一面で、「編集部と制作部間の連絡ミスによるもの」「コピーをそのまま掲載し、社会に多大なご迷惑をかけた」とする「おわびとお知らせ」を山崎勇社長名で掲載したが、同月18日には新潟地方法務局から、「人権を著しく侵害した」として再発防止を「説示」された。 「神戸連続児童殺傷事件#少年の情報漏洩騒動」も参照 また、三条市内で1990年(平成2年)11月に行方不明となり、2000年1月28日に同県柏崎市内で9年2か月ぶりに保護された少女(新潟少女監禁事件の被害者)について、保護の翌日(2000年1月29日)以降の紙面で、実名や本人および家族の写真を報道した。これに対し、新潟市の女性市民団体「女のスペース・にいがた」(朝倉安都子代表)は同年2月10日付で、同紙の報道を「被害者をさらに苦しめる、ひどい行為だ」と激しく非難したが、同紙の山崎勇社長は「当社は他の報道機関とは異なり、少女が行方不明になって以来、何度も報道している。三条市内では(少女の名前は)誰もが知っている名前であり、急に匿名にするわけにはいかない」と説明し、被害者の実名報道を続けた。しかし、同年2月12日付で、被害者を匿名報道に切り替えた。同日付の紙面では、それまで実名報道を続けてきた理由を「捜査協力を呼びかけてきた地元紙として被害者の名前を熟知している読者に匿名にする意味がなかった」と説明した上で、匿名報道に切り替える理由について、捜査本部の発表文が11日付から匿名に切り替わったことや、各メディアで監禁時の状況が報じられる中で、他紙を併読する場合の影響を考えたという旨を挙げている。 「新潟少女監禁事件#少女Aについてなど」も参照
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