物議を醸した選出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 19:17 UTC 版)
「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の記事における「物議を醸した選出」の解説
この称号は、過去に多くの立派な人々が選ばれたということを以て、しばしば名誉とみなされ、「賞」であるように語られている。しかし『タイム』誌では、アドルフ・ヒトラー(1938年)、ヨシフ・スターリン(1939年、1942年)、ニキータ・フルシチョフ(1957年)、アヤトラ・ホメイニ(1979年)のような物議を醸した人物もこの称号を受けているという事実を示して、この称号は栄誉というわけではないと頻繁に書いている。 1979年にホメイニを「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出したことで米国政府から反発を受けた結果、タイム社はそれ以来、売上や広告収入の減少を恐れて、米国で物議を醸している人物を選出することを避けてきた。 1999年の「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」について、第二次世界大戦、ホロコースト、第二次エチオピア戦争の責任者であるアドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニの方が、政治への影響力で選出されるべきではないかという論争が起こった。これは、「良くも悪くも今世紀に最大の影響を与えた人物」という明確な基準に基づくものである。「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」が掲載されたのと同じ号にて、エッセイストのナンシー・ギブス(英語版)は"The Necessary Evil?"(必要悪?)という記事でこのトピックに取り組んだ。記事の中で彼女は、「ヒトラーとムッソリーニは、チンギス・ハン以前にまでさかのぼる、歴史上多く現れた残忍な人物の中で、最も新しいものである。唯一の違いは技術である。ヒトラーとムッソリーニはいずれも、現代の産業が完成させたあらゆる効率の良い兵器で冷笑的な大虐殺を行った」と述べ、「悪は強力な力であり、魅惑的な考えかもしれないが、それは天才・創造性・勇気あるいは寛大さよりも強力だろうか?」などの反語的な質問を提示した。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の直後に発表された2001年のパーソン・オブ・ザ・イヤーは、ニューヨーク市のルドルフ・ジュリアーニ市長が選ばれた。しかし、「その年の出来事に最も大きな影響を与えた個人またはグループを選ぶ」という明文化された選考ルールに基づけば、ウサーマ・ビン・ラーディンが選ばれる可能性が高かった。2001年のパーソン・オブ・ザ・イヤーを発表した号には、タイム誌がアヤトラ・ホメイニを選んだという以前の決定と、ヒトラーを「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」とすることを1999年に拒否したことに言及した記事が掲載されていた。その記事は、ヒトラーがアインシュタインよりも有力な候補者であったのと同様に、ウサーマ・ビン・ラーディンがジュリアーニよりも有力な候補者であったことを暗示しているように見えた。 他に物議を醸したのは、2006年の「あなた」だった。これは、インターネット(ブログ、MySpace、YouTube、ウィキペディアなど)を利用して情報化時代を進めている人々(全員ではないにしても)を代表して、今この雑誌を読んでいる「あなた」をパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出したというものだった。
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