東毛地域とは? わかりやすく解説

東毛

(東毛地域 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 14:42 UTC 版)

東毛(とうもう)は、群馬県の地域区分の一つで、群馬県南東部一帯を指す[1]。一般的には、東毛、中毛西毛北毛の4区分の一つ[1][注釈 1]。東毛は桐生市太田市館林市を中心に構成されている。また、栃木県の南西部(安足)とともに両毛と呼ばれている。狭義では、桐生市周辺を「桐生地区」として独立させ、「太田・館林地区」(太田市・館林市・邑楽郡)のみを東毛と呼ぶ場合もある。

地理

構成自治体

桐生市太田市館林市みどり市の4市と、邑楽郡に属する板倉町明和町千代田町大泉町邑楽町の5町で構成される(「群馬県文化財保存活用大綱」や「感染症発生動向調査」など)[4][5]。旧勢多郡に属していた部分は除くことが多い。

地理的特徴

北部は足尾山地赤城山から続く丘陵地帯、南部の太田市・館林市・邑楽郡の地域は平野となっている[4]

太田・館林地区は、歴史的な経緯から人口の集住が進んでいないため、市街地人口が比較的少ないのも特徴である。郊外に大型商用施設が多く、市街地は衰退している。合併によって20万人都市となった太田市も、多くが郊外人口であるため、中心市街地の人口は、一般的な20万人都市のそれには遠く及ばない。人口増加区域の殆どが郊外の農地を住宅地へ転用した地域であって、そういった地域へのインフラ整備に今後の大きな財産的負担が予想される。また、広大な地域へのインフラ整備の結果、人口減少時代においてその維持管理が重い負担になる事も予想される。

これに対して、桐生市周辺は山地が多いため、総面積に対する可住地面積比率が低いことから市街地に人口が集中しており、可住地人口密度が高くなっている。その点、県内他市と比べて大規模な工業団地の造成や企業の誘致が行われず、桐生市の人口は昭和後期から減少に転じている。

館林地区は、県都の前橋市から40~60kmとかなり離れているのに対し、都心からは約70kmであり、特に館林市、明和町、板倉町は便も良いため、都心との関係が県内の他の地域と比べて、密接である[注釈 2]。市町村によっては埼玉県の県都さいたま市の方が前橋市よりも近い。そのため群馬県内で関東大都市圏[6]に属しているのは館林市、板倉町、明和町のみである[注釈 3]

館林地区は生産人口割合も高く、最も高い大泉町は県内第1位、最も低い板倉町でも県内第9位である。

交通

鉄道

東毛地区には、東日本旅客鉄道(JR東日本)、わたらせ渓谷鐵道上毛電気鉄道東武鉄道の4社が乗り入れており、JR東日本の両毛線わたらせ渓谷線上毛電鉄上毛線東武桐生線が桐生市付近に集中している。

東武鉄道の各線は、千代田町を除く全ての東毛地区の自治体を網羅している。太田市から栃木県足利市を経て館林市・明和町に至る東武伊勢崎線、館林市と栃木県佐野市を結ぶ東武佐野線、館林市から邑楽町・大泉町を経て太田市に至る東武小泉線、板倉町に東武日光線が通じている。

道路

主な幹線道路として、桐生市から太田市にかけて国道50号が、太田市から館林市にかけて国道354号(東毛広域幹線道路)が、太田市尾島地区に国道17号上武道路)が通じている。

そのほか、東毛を南北に貫く国道122号や、桐生市から赤城山南麓に通じる国道353号、太田と熊谷を結ぶ国道407号が通じている。

東毛中核市構想

東毛地区の大同合併により、群馬県東部に50万人の都市を作ろうという構想である。

古くから提唱され続け、平成の大合併において一つのテーマになったが、面積が広域にわたり過ぎる上に、人口の集積区域がバラバラであるなどの理由から、相互の利益調整が極めて難しく、現実的に実現は困難であるとされ、机上の空論であるというのが一般的な考え方である。

市議会議員・市長レベルでは拡大合併によるスケールメリットを生かし、より大規模な開発を目指さなければ都市間競争で生き抜くことが出来ない旨の主張がなされるが、東毛全体としての利益や利益調整を無視した意見であることが多い。

現に2003年9月、桐生市・太田市・尾島町(現・太田市)・新田町(現・太田市)で法定合併協議会を設置したが、合併の枠組みなどをめぐって桐生市と太田市が対立し、合併には至らなかった。

さらに桐生市を中心とした合併は難航し、桐生市は黒保根村新里村との飛び地合併を選び、一方で大間々町笠懸町東村(事実上の飛び地)が加わったことで「みどり市」が発足するという変則的な経緯をたどった。

東毛地区に足利市佐野市伊勢崎市)を合わせて、人口100万人の政令指定都市を建設しようという構想もあるが、これも各市の利害関係の調整は難しく、実現はありえないと考えられている。

東毛と付く施設

注釈

  1. ^ 東毛・南毛・西毛・北毛の4区分を用いる場合[2]、東毛・中毛・西毛・南毛・北毛の5区分を用いる場合[3]もある。
  2. ^ 平成27年の国勢調査によると群馬県内の23区への通勤率は板倉町、明和町、館林市、高崎市の順である。
  3. ^ ただし関東大都市圏には高崎市に編入される以前の多野郡新町も属していた。

脚注

  1. ^ a b 大島登志彦、石関正典「上毛電気鉄道の設立と創業期の鉄道計画に関する研究」『高崎経済大学論集 創立50周年記念号』、高崎経済大学、2007年、81-93頁。 
  2. ^ 公益財団法人 全日本不動産協会 群馬県本部について > 沿革”. 公益財団法人 全日本不動産協会 茨城県本部. 2025年5月10日閲覧。
  3. ^ 加盟道場一覧”. 群馬県空手道連盟. 2025年5月10日閲覧。
  4. ^ a b 群馬県文化財保存活用大綱”. 群馬県 (2020年3月). 2025年5月10日閲覧。
  5. ^ 感染症発生動向調査について”. 群馬県 (2025年4月7日). 2025年5月10日閲覧。
  6. ^ 総務省統計局 経済センサスと統計地図(大都市圏の売上高)【1.関東大都市圏】[1]

関連項目


東毛地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:06 UTC 版)

群馬県」の記事における「東毛地域」の解説

東毛地域は、群馬県東南部占め地域である。4市1郡5町がある。中毛利根沼田栃木県上都賀・下都賀安足埼玉県埼玉大里各地域接する。全域東毛地方拠点都市地域含まれ桐生市太田市館林市地域中心都市指定されている。 市桐生市 県東部の中心地古くから絹織物産する機業都市桐生織はじめとする繊維産業が盛んであるため「織都」と称される市街地渡良瀬川両岸広がり日本遺産白滝神社桐生織物会館旧館など絹産業に関する文化財集積している。渡良瀬川桐生川囲まれ旧市街地中心部には鋸屋根織物工場造の商家など歴史的建築物多く残り旧市街地北部本町天神町一帯が「桐生新町」の名で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。渡良瀬川東北岸に両毛線わたらせ渓谷鐵道桐生駅上毛電鉄西桐生駅桐生天満宮美和神社桐生が岡公園大川美術館が、渡良瀬川西南岸に東武桐生線新桐生駅賀茂神社がある。シイタケ、うどん、ソースかつ丼名物人口103,369人で県内第5位。1921年大正10年3月1日山田郡桐生町県内3番目・東毛初め市制施行2005年平成17年6月13日勢多郡新里村黒保根村編入太田市 県東南部中心地施行時特例市。「子育て呑竜」として知られる大光院門前町日光例幣使街道宿場町大正期設立され中島飛行機流れをくむSUBARUスバル)の企業城下町であり、自動車産業主とする工業都市である。市街地金山南麓東武鉄道太田駅北口周辺広がる市街地東北部スバル町SUBARU群馬製作所本工場立地太田駅南口南一番街歓楽街として知られる南部利根川東北部渡良瀬川流れる。太田焼きそば尾島ヤマトイモ藪塚スイカ名物人口221,368人で、県内第3位1940年昭和15年4月1日新田郡太田町初代)九合村沢野村山田郡韮川村合併して太田町二代目)が成立1943年昭和18年11月1日太田町鳥之郷村編入1948年昭和23年5月3日市制施行2005年平成17年3月28日、旧太田市新田郡尾島町新田町藪塚本町合併館林市 県東南部の市。邑楽地区の中心地。もと館林藩城下町市域の北を渡良瀬川が、南を谷田川流れる。市街地鶴生田川城沼沿岸台地上にあり、市街地西部東武鉄道館林駅が、市街地東部城沼南岸ツツジ名所つつじが岡公園がある。市南部に分福茶釜知られる茂林寺が、市東部に東北自動車道館林ICがある。製粉製麺が盛んで、うどんが名物正田醤油館林製粉創業地であり、上皇后美智子親族正田家ゆかりの地である。人口74,476人。1954年昭和29年4月1日邑楽郡館林町郷谷村大島村赤羽村六郷村三野谷村多々良村渡瀬村合併して成立みどり市 県東部の市。東西桐生市囲まれている。2006年平成18年3月27日山田郡大間々町新田郡笠懸町勢多郡東村合併して成立市中心部大間々渡良瀬川大間々扇状地扇頂にあたりわたらせ渓谷鐵道大間々駅上毛電鉄東武桐生線赤城駅大間々神明宮高津戸峡がある。市南部の笠懸地区には両毛線通じており、岩宿遺跡桐生競艇場桐生地方卸売市場桐生大学がある。市北部の勢多東地区には草木ダム富弘美術館がある。人口49,013人。 邑楽郡板倉町 邑楽郡東部の町で、県の東端位置するキュウリ生産が盛ん。町の中部板倉川、南に利根川谷田川、北に渡良瀬川流れ、東は渡良瀬遊水地接する。町の中心部板倉雷電神社があり、ナマズ料理名物雷電神社渡良瀬遊水地付近は「利根川渡良瀬川合流域の水場景観」の名で重要文化的景観として選定されている。1955年昭和30年2月1日西谷田村海老瀬村大箇野村伊奈良村合併して成立町東部に板倉ニュータウン開発され1997年平成9年3月25日東武日光線板倉東洋大前駅開業東洋大学板倉キャンパス開設された。人口13,771人。 明和町 邑楽郡南部の町。産地。町の南端利根川北端谷田川流れる。東武伊勢崎線川俣駅があり、群馬県内では都心に最も近く東京通勤圏となっている。1955年昭和30年3月1日佐貫村梅島村千江田村合併して明和村成立1998年平成10年10月1日町制施行人口10,646人。 千代田町 邑楽郡西南部の町。町中部の赤岩には、利根川対岸埼玉県熊谷市葛和田に至る赤岩渡船がある。1955年昭和30年3月31日富永村永楽村長柄村合併して千代田村成立1956年昭和31年9月30日に旧長柄村域が千代田村から分離して中島村編入1982年昭和57年4月1日町制施行人口10,669人。 大泉町 邑楽郡西部の町。邑楽地西部中心地自動車電気機器製造盛んな工業の町で、ブラジルペルー出身日系人労働者多く外国人比率県内市町村で最も高い。中心市街は休泊川沿岸東武小泉線西小泉駅周辺広がる北部SUBARU群馬製作所大泉工場中部三洋電機東京製作所立地南部利根川流れ東武仙石河岸線跡を整備したいずみ緑道がある。1957年昭和32年3月31日邑楽郡小泉町大川村合併して成立人口41,835人で、群馬県内の町では最大である。 邑楽町 邑楽郡中西部の町。町の中心地は孫兵衛川沿岸中野で、東武小泉線本中野駅がある。町役場隣接して高さ60mのシンボルタワーがある。町西部の石打には「こぶ観音」として知られる明言寺がある。1955年昭和30年3月1日中野村高島村合併して中島村成立1956年昭和31年9月30日千代田村の旧長柄村域を中島村編入1957年昭和32年1月1日中島村邑楽村改称1968年昭和43年4月1日町制施行人口25,177人。

※この「東毛地域」の解説は、「群馬県」の解説の一部です。
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