東毛
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東毛(とうもう)は、群馬県の地域区分の一つで、群馬県南東部一帯を指す[1]。一般的には、東毛、中毛、西毛、北毛の4区分の一つ[1][注釈 1]。東毛は桐生市・太田市・館林市を中心に構成されている。また、栃木県の南西部(安足)とともに両毛と呼ばれている。狭義では、桐生市周辺を「桐生地区」として独立させ、「太田・館林地区」(太田市・館林市・邑楽郡)のみを東毛と呼ぶ場合もある。
地理
構成自治体
桐生市・太田市・館林市・みどり市の4市と、邑楽郡に属する板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町の5町で構成される(「群馬県文化財保存活用大綱」や「感染症発生動向調査」など)[4][5]。旧勢多郡に属していた部分は除くことが多い。
地理的特徴
北部は足尾山地や赤城山から続く丘陵地帯、南部の太田市・館林市・邑楽郡の地域は平野となっている[4]。
太田・館林地区は、歴史的な経緯から人口の集住が進んでいないため、市街地人口が比較的少ないのも特徴である。郊外に大型商用施設が多く、市街地は衰退している。合併によって20万人都市となった太田市も、多くが郊外人口であるため、中心市街地の人口は、一般的な20万人都市のそれには遠く及ばない。人口増加区域の殆どが郊外の農地を住宅地へ転用した地域であって、そういった地域へのインフラ整備に今後の大きな財産的負担が予想される。また、広大な地域へのインフラ整備の結果、人口減少時代においてその維持管理が重い負担になる事も予想される。
これに対して、桐生市周辺は山地が多いため、総面積に対する可住地面積比率が低いことから市街地に人口が集中しており、可住地人口密度が高くなっている。その点、県内他市と比べて大規模な工業団地の造成や企業の誘致が行われず、桐生市の人口は昭和後期から減少に転じている。
館林地区は、県都の前橋市から40~60kmとかなり離れているのに対し、都心からは約70kmであり、特に館林市、明和町、板倉町は便も良いため、都心との関係が県内の他の地域と比べて、密接である[注釈 2]。市町村によっては埼玉県の県都さいたま市の方が前橋市よりも近い。そのため群馬県内で関東大都市圏[6]に属しているのは館林市、板倉町、明和町のみである[注釈 3]。
館林地区は生産人口割合も高く、最も高い大泉町は県内第1位、最も低い板倉町でも県内第9位である。
交通
鉄道
東毛地区には、東日本旅客鉄道(JR東日本)、わたらせ渓谷鐵道、上毛電気鉄道、東武鉄道の4社が乗り入れており、JR東日本の両毛線、わたらせ渓谷線、上毛電鉄上毛線、東武桐生線が桐生市付近に集中している。
東武鉄道の各線は、千代田町を除く全ての東毛地区の自治体を網羅している。太田市から栃木県の足利市を経て館林市・明和町に至る東武伊勢崎線、館林市と栃木県佐野市を結ぶ東武佐野線、館林市から邑楽町・大泉町を経て太田市に至る東武小泉線、板倉町に東武日光線が通じている。
道路
主な幹線道路として、桐生市から太田市にかけて国道50号が、太田市から館林市にかけて国道354号(東毛広域幹線道路)が、太田市尾島地区に国道17号(上武道路)が通じている。
そのほか、東毛を南北に貫く国道122号や、桐生市から赤城山南麓に通じる国道353号、太田と熊谷を結ぶ国道407号が通じている。
東毛中核市構想
東毛地区の大同合併により、群馬県東部に50万人の都市を作ろうという構想である。
古くから提唱され続け、平成の大合併において一つのテーマになったが、面積が広域にわたり過ぎる上に、人口の集積区域がバラバラであるなどの理由から、相互の利益調整が極めて難しく、現実的に実現は困難であるとされ、机上の空論であるというのが一般的な考え方である。
市議会議員・市長レベルでは拡大合併によるスケールメリットを生かし、より大規模な開発を目指さなければ都市間競争で生き抜くことが出来ない旨の主張がなされるが、東毛全体としての利益や利益調整を無視した意見であることが多い。
現に2003年9月、桐生市・太田市・尾島町(現・太田市)・新田町(現・太田市)で法定合併協議会を設置したが、合併の枠組みなどをめぐって桐生市と太田市が対立し、合併には至らなかった。
さらに桐生市を中心とした合併は難航し、桐生市は黒保根村・新里村との飛び地合併を選び、一方で大間々町に笠懸町・東村(事実上の飛び地)が加わったことで「みどり市」が発足するという変則的な経緯をたどった。
東毛地区に足利市、佐野市(伊勢崎市)を合わせて、人口100万人の政令指定都市を建設しようという構想もあるが、これも各市の利害関係の調整は難しく、実現はありえないと考えられている。
東毛と付く施設
注釈
- ^ 東毛・南毛・西毛・北毛の4区分を用いる場合[2]、東毛・中毛・西毛・南毛・北毛の5区分を用いる場合[3]もある。
- ^ 平成27年の国勢調査によると群馬県内の23区への通勤率は板倉町、明和町、館林市、高崎市の順である。
- ^ ただし関東大都市圏には高崎市に編入される以前の多野郡新町も属していた。
脚注
- ^ a b 大島登志彦、石関正典「上毛電気鉄道の設立と創業期の鉄道計画に関する研究」『高崎経済大学論集 創立50周年記念号』、高崎経済大学、2007年、81-93頁。
- ^ “公益財団法人 全日本不動産協会 群馬県本部について > 沿革”. 公益財団法人 全日本不動産協会 茨城県本部. 2025年5月10日閲覧。
- ^ “加盟道場一覧”. 群馬県空手道連盟. 2025年5月10日閲覧。
- ^ a b “群馬県文化財保存活用大綱”. 群馬県 (2020年3月). 2025年5月10日閲覧。
- ^ “感染症発生動向調査について”. 群馬県 (2025年4月7日). 2025年5月10日閲覧。
- ^ 総務省統計局 経済センサスと統計地図(大都市圏の売上高)【1.関東大都市圏】[1]
関連項目
東毛地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:06 UTC 版)
東毛地域は、群馬県東南部を占める地域である。4市1郡5町がある。中毛・利根沼田、栃木県上都賀・下都賀・安足、埼玉県北埼玉・大里の各地域と接する。全域が東毛地方拠点都市地域に含まれ、桐生市・太田市・館林市が地域の中心都市に指定されている。 市桐生市 県東部の中心地。古くから絹織物を産する機業都市。桐生織をはじめとする繊維産業が盛んであるため「織都」と称される。市街地は渡良瀬川の両岸に広がり、日本遺産の白滝神社や桐生織物会館旧館など絹産業に関する文化財が集積している。渡良瀬川と桐生川に囲まれた旧市街地中心部には鋸屋根の織物工場や蔵造の商家など歴史的建築物が多く残り、旧市街地北部の本町・天神町一帯が「桐生新町」の名で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。渡良瀬川東北岸に両毛線・わたらせ渓谷鐵道桐生駅、上毛電鉄西桐生駅、桐生天満宮、美和神社、桐生が岡公園、大川美術館が、渡良瀬川西南岸に東武桐生線新桐生駅、賀茂神社がある。シイタケ、うどん、ソースかつ丼が名物。人口は103,369人で県内第5位。1921年(大正10年)3月1日、山田郡桐生町が県内3番目・東毛で初めて市制施行。2005年(平成17年)6月13日に勢多郡新里村、黒保根村を編入。 太田市 県東南部の中心地。施行時特例市。「子育て呑竜」として知られる大光院の門前町。日光例幣使街道の宿場町。大正期に設立された中島飛行機の流れをくむSUBARU(スバル)の企業城下町であり、自動車産業を主とする工業都市である。市街地は金山の南麓、東武鉄道太田駅北口周辺に広がる。市街地東北部のスバル町にSUBARU群馬製作所本工場が立地。太田駅南口の南一番街は歓楽街として知られる。南部に利根川、東北部に渡良瀬川が流れる。太田焼きそば、尾島のヤマトイモ、藪塚のスイカが名物。人口は221,368人で、県内第3位。1940年(昭和15年)4月1日、新田郡太田町(初代)・九合村・沢野村・山田郡韮川村が合併して太田町(二代目)が成立。1943年(昭和18年)11月1日、太田町が鳥之郷村を編入。1948年(昭和23年)5月3日、市制施行。 2005年(平成17年)3月28日、旧太田市、新田郡尾島町・新田町・藪塚本町と合併。 館林市 県東南部の市。邑楽地区の中心地。もと館林藩の城下町。市域の北を渡良瀬川が、南を谷田川が流れる。市街地は鶴生田川・城沼沿岸の台地上にあり、市街地西部に東武鉄道館林駅が、市街地東部の城沼の南岸にツツジの名所・つつじが岡公園がある。市南部に分福茶釜で知られる茂林寺が、市東部に東北自動車道館林ICがある。製粉・製麺が盛んで、うどんが名物。正田醤油、館林製粉の創業地であり、上皇后美智子の親族正田家ゆかりの地である。人口は74,476人。1954年(昭和29年)4月1日、邑楽郡館林町・郷谷村・大島村・赤羽村・六郷村・三野谷村・多々良村・渡瀬村が合併して成立。 みどり市 県東部の市。東西を桐生市に囲まれている。2006年(平成18年)3月27日、山田郡大間々町・新田郡笠懸町・勢多郡東村が合併して成立。市中心部の大間々は渡良瀬川の大間々扇状地の扇頂部にあたり、わたらせ渓谷鐵道大間々駅と上毛電鉄・東武桐生線の赤城駅、大間々神明宮、高津戸峡がある。市南部の笠懸地区には両毛線が通じており、岩宿遺跡、桐生競艇場、桐生地方卸売市場、桐生大学がある。市北部の勢多東地区には草木ダム、富弘美術館がある。人口は49,013人。 邑楽郡板倉町 邑楽郡東部の町で、県の東端に位置する。キュウリの生産が盛ん。町の中部に板倉川、南に利根川・谷田川、北に渡良瀬川が流れ、東は渡良瀬遊水地に接する。町の中心部に板倉雷電神社があり、ナマズ料理が名物。雷電神社・渡良瀬遊水地付近は「利根川・渡良瀬川合流域の水場景観」の名で重要文化的景観として選定されている。1955年(昭和30年)2月1日に西谷田村・海老瀬村・大箇野村・伊奈良村が合併して成立。町東部に板倉ニュータウンが開発され、1997年(平成9年)3月25日に東武日光線板倉東洋大前駅が開業。東洋大学板倉キャンパスが開設された。人口は13,771人。 明和町 邑楽郡南部の町。梨の産地。町の南端に利根川、北端に谷田川が流れる。東武伊勢崎線の川俣駅があり、群馬県内では都心に最も近く東京の通勤圏となっている。1955年(昭和30年)3月1日、佐貫村・梅島村・千江田村が合併して、明和村が成立。1998年(平成10年)10月1日、町制施行。人口は10,646人。 千代田町 邑楽郡西南部の町。町中部の赤岩には、利根川対岸の埼玉県熊谷市葛和田に至る赤岩渡船がある。1955年(昭和30年)3月31日に富永村・永楽村・長柄村が合併して千代田村が成立。1956年(昭和31年)9月30日に旧長柄村域が千代田村から分離して中島村に編入。1982年(昭和57年)4月1日に町制施行。人口は10,669人。 大泉町 邑楽郡西部の町。邑楽地区西部の中心地。自動車・電気機器製造が盛んな工業の町で、ブラジルやペルー出身の日系人労働者が多く、外国人比率が県内の市町村で最も高い。中心市街は休泊川の沿岸、東武小泉線西小泉駅周辺に広がる。北部にSUBARU群馬製作所大泉工場、中部に三洋電機東京製作所が立地。南部に利根川が流れ、東武仙石河岸線跡を整備したいずみ緑道がある。1957年(昭和32年)3月31日に邑楽郡小泉町と大川村が合併して成立。人口は41,835人で、群馬県内の町では最大である。 邑楽町 邑楽郡中西部の町。町の中心地は孫兵衛川沿岸の中野で、東武小泉線本中野駅がある。町役場に隣接して高さ60mのシンボルタワーがある。町西部の石打には「こぶ観音」として知られる明言寺がある。1955年(昭和30年)3月1日、中野村・高島村が合併して中島村が成立。1956年(昭和31年)9月30日、千代田村の旧長柄村域を中島村に編入。1957年(昭和32年)1月1日、中島村が邑楽村に改称。1968年(昭和43年)4月1日に町制施行。人口は25,177人。
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