正田家
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曾祖父・文右衛門(3代)(商人)文政元年7月(1818年8月)生 - 1895年(明治28年)3月没 祖父・作次郎弘化3年(1846年)生 - 明治4年5月(1871年7月)没 祖母・幸(長家の長女)嘉永3年(1850年)生 - 1922年(大正11年)4月没 父・貞一郎(日清製粉株式会社社長、東武鉄道株式会社会長、貴族院議員)明治3年2月(1870年3月)生 - 1961年(昭和36年)11月没 母・きぬ(群馬県、正田文右衛門(5代)長女)1880年(明治13年)生 - 1970年(昭和45年)5月没 姉・はる1898年(明治31年)9月生 - 没 兄・明一郎1899年(明治32年)12月生 - 1922年(大正11年)3月没 兄・建次郎(数学者、大阪大学長、武蔵大学長)1902年(明治35年)2月生 - 1977年(昭和52年)3月没 弟・順四郎(実業家)1906年(明治39年)4月生 - 1945年(昭和20年)5月没 妹・勅子(化学者、東京大学名誉教授・水島三一郎夫人)1908年(明治41年)8月生 - 没 妹・祐子(和歌山県、実業家・脇村禮次郎夫人)1910年(明治43年)8月生 - 没 弟・篤五郎(学者、東京大学教授)1913年(大正2年)10月生 - 没 妹・千鶴子1915年(大正4年)11月生 - 妹・和子1917年(大正6年)7月生 - 妻・富美子(中支那振興会社常務理事・副島綱雄の長女)1909年(明治42年)9月生 - 1988年(昭和63年)5月没 結婚後夫の赴任地ドイツで長男出産。 長男・巌1931年(昭和6年)生 - 同妻・淑(元内閣総理大臣・濱口雄幸の孫娘) 長女・美智子(皇族、上皇后)1934年(昭和9年)10月生 - 次女・恵美子(昭和電工社長・安西孝之の夫人) 次男・修(実業家)1942年(昭和17年)10月生 - 同妻・泰子(クラレ社長・大原総一郎の次女) 孫(9人)今上天皇、秋篠宮文仁親王、黒田清子、巌の2男、恵美子の1男1女、修の2女 曾孫愛子内親王、小室眞子、佳子内親王、悠仁親王など
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正田家
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徳川家の菩提所である群馬県新田郡世良田長楽寺の伝えるところによれば、正田家の祖先は新田義重の家臣生田隼人となっている。天正年間、生田義豊は徳川家康に謁し、新田、徳川の郷土に関する旧記由緒を上申して知行を受け、命により生田を正田と改めた。 後世、世良田にいた正田家の人が館林に移って商人となり、これが館林における正田家の始まりである。それは、延享、寛政の頃といわれ、4代を経て正田文右衛門と称し、以後累代これを襲名した。 正田家は代々「米文」の暖簾のもとに米問屋を家業とし、上州館林および近郊きっての富商であった。「米文」の名声は江戸はいうまでもなく、大阪方面まで聞こえていた。弘化の頃(1844年 - 1847年)には名主の職にあり、名字帯刀を許されていた。 祖父・文右衛門(3代)(商人)1818年(文政元年)7月生 - 1895年(明治28年)3月没 文政元年(1818年)7月に生まれた文右衛門(3代目)は正田家“中興の祖”といわれている。文右衛門は明治6年(1873年)米穀商を辞め、醤油醸造業を始めた。 (貞一郎の)父母は日蓮宗を深く信仰していたので、父の病気が重くなった時、貞一郎を僧侶にしようと祖父に相談したことがあった。その時祖父は屹然として「貞一郎は私が立派な人間に育てるから心配はいらない」と答えたという。後年、貞一郎は「祖父がいなかったら、私は坊さんになっていたかもしれない」と語った。 父・作次郎1846年(弘化3年)生 - 1871年(明治4年)5月没 上州舘林の人。幼い頃から漢学を修め書道に達し早くも一家をなす。また維新の初めに横浜に移り、外米の輸入を試みる傍ら英学を学んだ。 母・幸(長家の長女)1850年(嘉永3年)生 - 1922年(大正11年)4月没 野州足利付近の小生川の長家の長女として生まれた。長家は代々代官をした格式の高い家柄であった。広大な宅を構え常に名僧、学者、画家、俳人などが食客として出入していた。渡辺崋山なども一時寄食していたことがあった。 妻・きぬ(群馬県、正田文右衛門(5代)長女) 長女・はる1898年(明治31年)9月生 - 長男・明一郎1899年(明治32年)12月生 - 1922年(大正11年)3月没 二男・建次郎(数学者・大阪大学長、武蔵大学長)1902年(明治35年)2月生 - 1977年(昭和52年)3月没 三男・英三郎(実業家・日清製粉名誉会長)1903年(明治36年)9月生 - 1999年(平成11年)6月没 四男・順四郎(実業家)1906年(明治39年)4月生 - 1945年(昭和20年)5月没 二女・勅子(化学者・東京大学名誉教授水島三一郎夫人)1908年(明治41年)8月生 - 三女・祐子(和歌山県、実業家脇村禮次郎夫人。子に脇村春夫)1910年(明治43年)8月生 - 五男・篤五郎(学者・東京大学教授)1913年(大正2年)10月生 - 没 四女・千鶴子1915年(大正4年)11月生 - 五女・和子1917年(大正6年)7月生 - 孫彬、紘、上皇后美智子、修、水島恵一、水島裕等
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