館林町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 04:16 UTC 版)
たてばやしまち 館林町 | |||
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廃止日 | 1954年4月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 館林町、郷谷村、大島村、赤羽村、六郷村、三野谷村、多々良村、渡瀬村 → 館林市 | ||
現在の自治体 | 館林市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 |
![]() | ||
地方 | 関東地方 | ||
都道府県 | 群馬県 | ||
郡 | 邑楽郡 | ||
市町村コード | なし(導入前に廃止) | ||
面積 | 2.71 km2. | ||
総人口 |
23,178人 (1952年3月31日) | ||
隣接自治体 | 邑楽郡六郷村、郷谷村、多々良村 | ||
館林町役場 | |||
所在地 |
群馬県邑楽郡館林町大字館林2294番地[1] (現・館林市仲町14-1) | ||
特記事項 |
人口密度:8,552人/km2 世帯数:4,993世帯(1952年3月31日) | ||
ウィキプロジェクト |
館林町[2](たてばやしまち)は、群馬県の南東部、邑楽郡に属していた町である。現在の館林市の館林地区に相当する。古くは立野ヶ原と称し、立林と呼ばれていたところから転じて「館林」となった。秋元氏6万石の旧城下である[2]。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により館林町と谷越村、当郷村、成島村のそれぞれ一部が合併し、館林町が発足(谷越村と成島村の残りの地域は多々良村、当郷村の残りの地域は郷谷村となる)。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 館林町、郷谷村、大島村、赤羽村、六郷村、三野谷村、多々良村、渡瀬村が合併し、館林市となる。発足時の人口は約5万6000人。
行政
町長
町長は以下の通りである。
経済
産業
- 企業
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、館林町の篤農家は宮杉、千金楽、島田、荒井、神田、片桐、増田、濱野、熊谷、橋田姓の人物がいた[4]。
人口
1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数3619、人口17413[2]。
施設
宗教
官衙
教育
高等学校
中学校
小学校
交通
出身・ゆかりのある人物
政治・経済
- 小室良七[5](実業家、政治家)
- 三代正田文右衛門(米穀商、醤油醸造業)
- 六代正田文右衛門(実業家) - 正田醤油社長。
- 正田貞一郎(実業家) - 日清製粉の創業者。上皇后美智子の祖父。
- 千金楽喜一郎[5](群馬県多額納税者、金融業、篤農家[4])
- 南条新六郎[5](第四十銀行頭取)
学術
文化
脚注
参考文献
- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 『職員録 明治28年1月現在 乙』印刷局、1895年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
関連項目
固有名詞の分類
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