文政年間頃の天王祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 13:55 UTC 版)
「館林の牛頭天王信仰」の記事における「文政年間頃の天王祭」の解説
文政13年(1830年)の『館林町竪町・谷越町・足利町牛頭天王祭礼一件』によると、町内から奉行所への伺いに、従来からのしきたりとして 三社の神輿を城内まで渡御し、笠鉾、作り物、屋台、子供踊り屋台を披露すること。 また城内で神楽を奉納し、幣束を神主より寺社取り次ぎの者へ渡し、城代がそれを受け取り、櫓へ納めること。 城下町で軽業や操り人形を催したい場合は、申し出を出すので、場所を定め承認届を出すこと。 を列記して、昨今の改革の御触書を経ても同様に取り計らってくれるよう申し出ている。奉行所よりは、従来のしきたりであることは承ったが、新規のことは許可しないのでしないこと、また従来のことであっても度を越えれば取り締まらないことはないので、節度をもって行うことを通達している。
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