文政殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:43 UTC 版)
昌慶宮の便殿。1762年(英祖38年)、荘献世子が米櫃の中に閉じ込められて8日ぶりに餓死した壬午士禍が発生した場所でもある。18世紀以降は便殿の機能を失い、王妃や王大妃の冥福を祈る魂殿として使われた。昌慶苑と改称された後も残存していたが、1940年頃に撤去、その跡には遊歩道と花壇が造成された。現在の殿閣は1986年に復元されたものだ。2006年4月に、後の崇礼門放火事件の犯人によって放火され一部が焼けた。
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