日本のイルカ漁に対する抗議活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 21:43 UTC 版)
「シーシェパード」の記事における「日本のイルカ漁に対する抗議活動」の解説
「コーヴ・ガーディアンズ」も参照 1982年 イルカ漁に抗議するためにシーシェパード代表のポール・ワトソンが訪日。イルカ漁を止めれば1頭につき100アメリカドルを支払うが、止めないならばシー・シェパード2世号を自沈させて港を封鎖すると脅したが、長崎県壱岐で県水産部次長と話し合いをもった結果、漁民はイルカを積極的に捕獲しているのではないという説明に納得して何もせずに帰った。 2003年 2003年、太地のイルカキャンペーンの一環として、和歌山県の東牟婁郡、太地町のイルカ漁に用いる網を切断する。これにより、同団体のアメリカ人とオランダ人のメンバー2名が逮捕された。2名は23日間拘束され、略式起訴の後、罰金30万-50万円の略式命令を受けた。また、同団体の公式ホームページに漁業関係者や県知事の住所、電話番号を日本語で掲載し、抗議の手紙、電話を送るよう推奨している(活動の手法参照)。犯罪者の罰金はシーシェパードが支払った。 2010年 9月3日、マイケル・ダルトンが、イルカ漁を妨害する為にメンバーを和歌山県東牟婁郡太地町に送りこんだ事を明かした。今後さらに20〜30人を派遣し、他の動物保護団体も合流する見通しと語った。また、定期的に、同団体のウェブサイトやYouTubeで、太地町での抗議活動を報告している。 9月13日、太地町の畠尻湾に、支援者とメンバーで幹部でもある、元警察官スコット・ウエストとその妻と娘らが訪れ、イルカの仕分け作業を撮影した。これに対して同団体に反発している保守系団体が街宣車で抗議した。また、2011年2月5日放送された日本の番組で、スコット・ウエストは「漁師達をいじめてるよう見える、どうしてするのか?」との問いに対して「楽しい」と笑いながら答えた。 9月27日、シーシェパードのメンバーでもあるザ・ブラック・フィッシュのメンバー3名が、捕獲されているイルカを逃がそうと生簀の網を切断して犯行声明を出した後、国外に逃亡した。しかしこれにより逃げ出したイルカはいなかった。 10月12日、太地町で、午前5時頃に、メンバー、支援者ら外国人10人が、イルカ漁に出ようとする漁業関係者に中止するよう詰め寄り、和歌山県警察が出動し一時騒然となり、その後は排除された。メンバーは「きょうない、この漁。赤ちゃんがいる、ベイビーイルカ。妊婦さんのイルカ。獲ったらおかしい」となどと抗議した。また、スコット・ウエストが、「滞在の目的はこの入江に注目を集めることです。毎日報告することで、この事実を全世界に知らしめることができるのです。長期的にはイルカ漁をやめさせるのが目的です」とし、さらに、活動資金の為に太地町滞在している事も認めた。 10月14日、太地町で、イルカ漁への抗議を世界各地の在外公館前などで行おうと、アメリカ合衆国の反イルカ漁団体のsave japan dolphinsが、発信した呼びかけを受け、メンバーと支援者が太地町長への面会を求め、太地役場に押しかけて職員や漁業関係者と押し問答となった。当然、門前払いされ、全く相手にされなかった。その後、スコット・ウエストと支援者は、米と酒を捧げることで漁師たちが犯した罪の償いだとして、入り江にバラの花やコメ、日本酒を海に撒いた。 太地町とシーシェパードの意見交換会 11月2日、シーシェパードなどの反捕鯨団体と太地町側との間で初の意見交換会が行われた。反捕鯨団体側は、太地町側に度々、面会を申し入れていたが、町側は再三にわたり拒否していたため、「町の立場を説明すべきだ」として、シーシェパードと交流のある県内の漁業組合や政治家で作る新宮市の民間団体「太地町のイルカ漁を考える会」が両者の間に入る形で主催した。開催の経緯について、太地町のイルカ漁を考える会会長の中平敦(地元の政治結社『日本世直会』の代表でもある)が中日新聞記者の吉岡逸夫に語ったところによると、当初、中平とシーシェパード幹部のスコット・ウェストはテレビ局を引き連れて和歌山県庁に抗議に行く予定であったが、太地町町長の三軒一高が「それなら自分が会う」と言ってきたために意見交換会が実現したという。AP通信や中東の衛星テレビなど、国内外合わせ、100人以上の報道陣が詰め掛けたが、主催者側が取材申し込み時に問題があったとして朝日新聞、毎日新聞、産経新聞など一部報道機関の入場を一方的に拒否。これに抗議して、出席予定だったザ・コーヴの出演者リック・オバリーは参加をボイコット、「町長側がメディアの自由な報道に規制をかけた」と訴える声明文を会場入り口で報道各社に配った。反捕鯨団体側からはシーシェパードのウェスト、ホエールマン・ファンデーションのジェフ・パンタコフら3団体の5人が、太地町側からは三軒町長、漁野伸一副町長、三原勝利町議会議長、くじらの博物館名誉館長の大隈清治、漁協幹部ら8人が出席したが、通訳を介していることもあり激しい議論とはならず、議論は平行線で終わった。入場を拒否された報道機関は、会場周辺で終了を待ち、会を終えて出てきた出席者を取り囲んで取材した。意見交換会終了後、所用があった三軒町長以外の漁野副町長、三原議長、杉森宮人・町漁協参事ら5人の出席のもと役場会議室で会見が行われた。また、それまで取材や対話を拒んできた太地町漁協は意見交換会後、初めて公式にコメントを発表した。 意見交換会におけるシーシェパードの主張 ウェストは、「伝統と文化に対しては理解している。長く続いているからいいというものではなく、もう続けてはいけないものがあることも理解しなければならない。奴隷制度のように、時がくれば終わらせなければならないものがある」と主張した。また、「太地町の一握りの活動が日本の名誉を傷つけている」と主張した。 「いつになったらイルカ漁をやめるのか」とし、「太地町がより良い方へ進むために何かできないか」と主張した。 記者に「シーシェパードはどうして町側と話し合わず、暴力的な振る舞いをするのか」と問われ、「私は毎日現地に行っているし、だれとでも話し合う用意はある」と回答した。 寄付を集めてイルカを買い取ることを提案した。 意見交換会における太地町側の主張 太地町側は、「太地町民が決めること。一方的な価値観を押し付けないで」とし、「捕鯨は生活の糧。地域の食文化について不毛な議論はしたくないが、必要に応じ理解を求めていきたい」と反論した。 映画『ザ・コーヴ』について「差別、偏見に満ちており、血の海となるような手法も数年前からやっていない」と反論した。 三軒町長は、「科学的根拠に基づいて適法に行っている」とし、「価値観の違いは明確。意見の行き違いは交わることはない」と反論した。 漁野副町長は「食文化や風習を尊重し合うべきだ」と反論した。 三原議長は、「シー・シェパードはいつも一方的な価値観を押しつけてくる。イルカは魚でないと言うが、こちらは資源と考えている」と反論した。 意見交換会後の記者会見 シーシェパードのウェストは、「伝統や文化が重要なのは分かるが、イルカ漁や捕鯨は野蛮。やめるまで活動する」と語った。 「地域の食文化や習慣について不毛な意見交換を続ける気はない」、「小型鯨類の漁業者は、今後も法律を順守しながら漁業を続ける」という三軒町長のコメントが読み上げられた。 三原議長は、「エコテロリストとして基本的に考えは変わっていない」とシーシェパードを批判し、「(団体の)実態が理解できた。これまでの食生活は今後も続けていく」と語った。 意見交換会後に太地町漁協が発表した談話 「太地の伝統はいわれのない攻撃に屈することなく存続する」とし、「うそのシナリオで、世間の人々に誤った認識を持たせ続けようとしている」とシーシェパードを非難し、「太地の人々は団結しており、攻撃は成功しない」などとする談話を発表した。 2011年 12月、シーシェパードの支援者でオランダ国籍のアーウィンマルコピーターアド・フェルミューレンが、ハナゴンドウ搬送の警備にあたっていた太地町在住の男性に暴行を加えたとして和歌山県警に逮捕された。フェルミューレンは立ち入り禁止区域の堤防に無理やり侵入しようとし、これを止めようとした男性の胸を突くなどして暴行したという。翌2012年2月、和歌山地裁は被害男性の証言は信用できないとしてフェルミューレンに無罪判決を言い渡した。 2012年 10月8日、シーシェパードメンバーのドイツ人のニルス・グレスキーズがくじら浜公園にある捕鯨モニュメントを破壊したとして、器物損壊の容疑で和歌山県警に逮捕された。
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