支給品
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陸軍は航空医学に基づく「航空糧食」に力を入れており、航空病を予防し、パイロットに能力を最大限発揮させる栄養食品を作る事を目的に陸軍第七技術研究所を中心として莫大な陸軍予算を投じていた。当時の東條英機首相もかなり期待していた模様で、首相以下 近衛文麿、広田弘毅、若槻禮次郎といった元老らなど、軍や政治の中枢を首相官邸に集めて、航空糧食の講演会が開かれており、当時の政府や軍の期待度の大きさが覗える。東條失脚後も陸軍の方針は変わらず、陸軍航空技術研究所が東京大学などの協力も受けて「航空ビタミン食」「腸内ガス無発生食品」「航空元気酒」「疲労恢復酒」「防吐ドロップ」「早急出動食」「無火無煙煙草」など多数の栄養食品や機能付食品や嗜好品が作られ、前線のパイロットに支給されていった。特攻隊員でも、1944年12月14日にクラーク基地からパラワン島近海に出撃した、陸軍特攻菊水隊一〇〇式重爆撃機の搭乗員が出撃時に、疲労回復のため、甘味の酒に和漢生薬約20種の成分とビタミンBを混合した「航空元気酒」の小瓶や、酸素不足予防のための鉄分を含む「活性鉄飴」を支給され出撃している。 特攻隊員が出撃に際して覚醒剤(ヒロポン)を投与され、判断力や恐怖心を強制的に失わせた上で出撃させられていたという話が一部で広まっているが、これは正確な表現ではなく、日本軍事史や日本軍の戦争犯罪に詳しい日本近現代史学者吉田裕教授からも「よく戦後の特攻隊に関する語りの中で、出撃の前に覚醒剤を打って死への恐怖感を和らげて出撃させたんだという語り・証言がたくさんあるんですけれども、これは正確ではないようです。覚醒剤を使っていたのは事実のようです。日本のパイロットは非常に酷使されていて(中略)疲労回復とか夜間の視力の増強ということで覚醒剤を大量に使っていて」との指摘もあっている。これを内地錬成中の特別攻撃隊に当て嵌めると、特攻訓練は燃料貯蔵量の関係もあって制限されており、休養・給養等が充分に与えられ、疲労の度を考慮すると実戦部隊の身体的疲労にはほど遠い。 「覚醒剤#歴史」も参照 戦後の参議院予算委員会の質疑において、厚生省の政府委員によれば「大体、戦争中に陸軍・海軍で使っておりましたのは、全て錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ませておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたものはすべて錠剤でございました、今日問題になっておりますような注射薬は殆ど当時なかったと私は記憶しております。」との答弁通り、戦時中の覚せい剤は広い範囲で使用されており、特攻隊員に限定的に使用されてはいなかった。 また、軍による覚醒剤の使用目的についても、厚生省薬務課長が戦中の覚醒剤の製造認可についての質問に対し「ヒロポン等につきましては、特別に製造許可をいたしました当時は、戦争中でありましたので、非常に疲労をいたしますのに対して、急激にこれを回復せしめるという必要がございましたものですから、さのような意味で特別な目的のため許したわけでございます。」と答弁しており、軍による覚醒剤の使用目的は「疲労回復」であったとしている。 特攻隊員が覚醒剤を使用していたという話が蔓延した経緯として、戦後のGHQによる日本軍の貯蔵医薬品の開放指令により、旧日本軍の貯蔵医薬品と一緒に大量に開放された覚せい剤は、一般社会へ爆発的に広まり中毒者が激増し社会問題化したが、他の多くの社会問題と同様に覚せい剤も暗黒時代であった戦時中の象徴であったとする主張がなされるようになり、事実とは異なる証言や回顧が巷に氾濫する事となった。その一例として、自らも薬物中毒で苦しんだ経験を持つフランス文学者平野威馬雄が、戦時中に軍需関係の会社の従業員していた人物より戦後の1949年に聞いた「頭がよくなる薬が手に入った。これは部外秘というやつで、陸海軍の特攻隊の青年だけに飲ませる“はりきり”薬で、ヒロポンという名前だ。長くない命に最後まで緊張した精神を維持させる薬だ。」という話を紹介しているが、一般に流通していたヒロポンを「部外秘」としたり、特攻隊の青年だけに飲ませていたといったような事実に反した話が広まっていたことがうかがえる。これは軍部を非人道的機関と位置づけ、覚醒剤禍の元凶として批判すべき対象とした際に、特攻隊員がその象徴として利用されていたことの例の一つであったと思われる。 第二次世界大戦参戦各国の覚せい剤使用状況を見ても、同じ枢軸国側のナチス・ドイツは、日本のヒロポンより先に1938年より市販されていたメタンフェタミンの錠剤「Pervitin」と「Isophan」を1940年4月 - 7月のわずか4カ月の間に3,500万錠を製造しドイツ陸海空軍の兵士に大量に支給するなど熱心に使用していた。連合軍のアメリカ・イギリスも、メタンフェタミンを使っており、主にドイツや日本への本土戦略爆撃機パイロットに、長時間飛行の疲労回復剤や眠気解消剤として支給していた。またアメリカ軍は、覚醒剤のアンフェタミンを現代に至るまで主にパイロットに使用している。最近でもアフガニスタン紛争 (2001年-)での誤爆事件(ターナックファーム事件(英語版))で、アメリカ空軍が疲労回復剤として、アンフェタミンの錠剤の服用をパイロットに強制していたことが明らかになっている。従って、日本軍の覚醒剤の使用については、当時の参戦各国での使用目的や実績と変わらない水準の使用であったと思われる。
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