就役 - 1960年代とは? わかりやすく解説

就役 - 1960年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:26 UTC 版)

エンタープライズ (CVN-65)」の記事における「就役 - 1960年代」の解説

本艦1958年2月4日ニューポート・ニューズ造船所起工された。1960年9月24日に元アメリカ合衆国海軍長官ウィリアム・B・フランク夫人によって進水し初代艦長ヴィンセント・P・デュポア大佐指揮1961年11月25日就役した。 当初エンタープライズ航空母艦6隻の一番艦として建造されたが、建造費の増大から同級2番以降建造計画撤回され建造予定のCV-66はキティホーク級航空母艦の1隻として建造された。CVN-67はA2W新型原子炉組み込んで建造される計画であったがそれも中止となり、「ジョン・F・ケネディ」 (USS John F. Kennedy, CV-67) として再発注された。 就役後本艦一連の試験を含む訓練航海行い原子力空母能力実証行った就役先立って10月30日にVR-40所属の3機のTF トレーダー艦上から公試視察したVIPアメリカ本土へ送り届けている。 本艦最初航空作戦参加1962年1月行われた。ジョージ・トーレイ大尉指揮する F8U クルセイダーカタパルトによる発艦着艦行っている。1962年2月20日にはマーキュリー計画フレンドシップ7追跡測定ステーション役割果たした8月本艦第6艦隊加わり地中海で作戦活動従事するノーフォーク帰港したのは10月であった。 まもなくキューバ危機発生すると、10月14日U-2偵察機撮影した写真からキューバ国内ソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在確認、さらにその後三つ中距離弾道ミサイル(IRBM)が発見された。アメリカ政府フロリダ州陸軍部隊移動海軍艦艇による支援キューバ対す軍事活動準備始める。 10月22日ジョン・F・ケネディ大統領テレビ演説国民に対してキューバミサイル持ち込まれ事実発表しソ連非難した続いて軍への準戦時体制発令し本艦を含む第2艦隊艦艇から成る海上封鎖部隊動員される。海上封鎖本艦のほか、インディペンデンス (USS Independence, CV-62)、エセックス (USS Essex, CV-9)、ランドルフ (USS Randolph, CV-15) などの空母とその艦載機地上基地からの航空機によって行われた全ての士官及び兵士任期無期限延長された。 10月24日封鎖部隊は「キューバ対す攻撃用兵器輸送全ての厳密な隔離」を開始する翌日最初ソ連船を停止臨検する10月27日U-2偵察機ソ連軍地対空ミサイル撃墜されるなど緊張続いたが、10月28日ソ連首相ニキータ・フルシチョフラジオミサイル撤去決定発表したフルシチョフキューバ建設中だったミサイル基地ミサイル解体しケネディキューバへの武力侵攻はしないことを約束キューバ危機収束した1962年12月19日リー・M・ラムジー中尉操縦する E-2 ホークアイは、発艦間隔短縮のためカタパルト・ブライドルに代えて設置され艦首曳航機器用いて発艦試験成功した本艦1963年2度目の、1964年には3度目地中海配備が行われた。1964年5月13日本艦原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチ (USS Long Beach, CGN-9) とベインブリッジ (USS Bainbridge, DLGN-25) らと第1原子力機動部隊Task Force 1)を構成し7月31日からシー・オービット作戦開始した第1原子力機動部隊世界初原子力推力艦による戦闘部隊であった本艦部隊ジブラルタル出航し歴史的な65日間航海を行う。総航海距離は30,216マイル (49,190 km)に及び、燃料補給行われた部隊がこの航海立ち寄った港はパキスタンカラチブラジルリオデジャネイロオーストラリアシドニー含まれる本艦10月ニューポート・ニューズ造船所入りオーバーホール受けた1965年11月本艦第7艦隊配属となる。12月2日ビエンホア北ベトナム軍対す艦載機出撃開始し実戦従事した最初原子力艦となる。初日125回の出撃行い167トン爆撃ロケット弾攻撃を敵補給路に対し行った翌日には165回の出撃記録達成する本艦1968年1月4日アメリカ出航同月8日ハワイ寄港しその後原子力ミサイル巡洋艦トラクスタン (USS Truxtun, DLGN-35) とハルゼー (USS Halsey, DLG-23) を率い長崎佐世保直航1月17日18日には入港する見られた。反対する日本社会党日本共産党5万規模阻止集会予定し一方、三派系全学連阻止闘争のため2,000人の動員計画。それに対し政府側は福岡県警察熊本県警察佐賀県警察長崎県警察から5,000人の機動隊動員してそれに備えた入港前の1月17日、ついに佐世保全学連警察の間に市街戦さながら激突起きた機動隊放水催涙ガス銃を使用した衝突佐世保駅から、平瀬橋、そして学生逃げ込んだ旧市病院中にまで移っていった。約2時間後、市民病院学生機動隊制圧された。(佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争学生警官あわせて重軽傷135人。逮捕者27人にのぼった18日寄港一時延期し、翌19日午前9時10分、佐世保港停泊した。この日もまた学生機動隊衝突繰り返された。1月23日午前9時、プエブロ号事件発生に伴い佐世保港出港し本艦とその護衛艦から成る機動部隊東シナ海展開し朝鮮半島付近日本海1ヶ月近く展開した1969年1月14日午前8:19F-4 ファントムII装着された MK-32 ズーニー・ロケット弾発艦準備行っていた機体排気により加熱され爆発事故起こす爆発とその後火災27名が死亡し314名が負傷した火災により15機の艦載機破壊され本艦はその損害により修理余儀なくされた。修理真珠湾3月初めに完了した1969年4月14日北朝鮮軍機が厚木基地所属の EC-121 コンステレーション電子偵察機撃墜し乗員31名が全員死亡するアメリカ海軍EC-121機撃墜事件)。本艦タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV-14)、レンジャー (USS Ranger, CVA-61)、ホーネット (USS Hornet, CV-12) の各空母護衛巡洋艦駆逐艦から成る71機動部隊日本海派遣され警戒態勢入った

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