就役履歴とは? わかりやすく解説

就役履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 06:36 UTC 版)

ドレッドノート (原子力潜水艦)」の記事における「就役履歴」の解説

1960年代半ばドレッドノートヴァージニア州ノーフォークバミューダロッテルダムキールといった多く都市寄港したジブラルタルには1965年から1967年にかけて毎年寄港し1967年9月19日にはロスサイス出港しシンガポール向けて高速航行試験兼ねた航海行った。この航海において、ドレッドノートは、4,640マイル水上航走と26,545マイル潜航行ったドレッドノート多種多様な任務従事した。その中には1967年6月24日難破し漂流中のドイツ船エスベルガー・ヒェミスト (Essberger Chemist) を沈めるというものもあった。3発の魚雷船腹命中したが、とどめを刺したのは、駆逐艦ソールスベリー (HMS Salisbury) の砲撃によって船倉開けられ破孔であったドレッドノート総じて信頼のおける艦として、乗員からは好ましく見られていたが、1965年9月22日には、耐圧隔壁亀裂見つかったことから、活動停止追い込まれ改修工事が行われた (艦隊復帰したのは1966年2月2日)。1968年5月から1970年9月10日まで、母港ロシスにおいて、炉心交換バラストタンク弁の静粛化を含む大規模な改修工事施された。この改修工事において、ドレッドノート原子炉炉心はPWR1コア A に換装された。 1971年3月3日ドレッドノートイギリス潜水艦としては初め北極点浮上した1973年には、イギリス海軍初の年次展開に参加し戦闘艦補助艦を含む戦闘群の一員として、戦闘能力維持するための長期展開を行い世界へプレゼンス示した1977年には、アラクリティ (HMS Alacrity, F174) およびフィービ (HMS Phoebe, F42) とともに南西大西洋展開しアルゼンチンによるフォークランド諸島への侵攻抑止あたった

※この「就役履歴」の解説は、「ドレッドノート (原子力潜水艦)」の解説の一部です。
「就役履歴」を含む「ドレッドノート (原子力潜水艦)」の記事については、「ドレッドノート (原子力潜水艦)」の概要を参照ください。

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