就役後の武装の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 21:07 UTC 版)
「ゴリツィア (重巡洋艦)」の記事における「就役後の武装の変遷」の解説
1937年に艦橋の側面に位置する10cm(47口径)連装高角砲を左右あわせて2基とヴィッカーズ・テルニ40mm機関砲4基と12.7mm単装機銃4丁を撤去し、近接火器としてブレダ37mm(54口径)機関砲を連装砲架で4基、13.2mm機関銃を連装砲架で4基ずつを搭載した。1940年には照明弾発射用の12cm(15口径)単装砲2基追加したが、同型艦3隻がいずれも1941年(昭和16年)3月29日のマタパン岬沖海戦で撃沈されたのに対し、祖国の敗戦まで生き残ったゴリツィアには主として対空兵装の強化が行われた。具体的には12cm単装砲2基の撤去が行われ、37mm連装機関砲2基の6基で計12門まで強化、13.2mm機銃も20mm機関砲に装され連装6基、単装2基の計14門となっている。
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