就役後の改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/17 03:24 UTC 版)
第二次世界大戦直前にペキン作戦にてイギリスへと脱出したグロム級2隻であったが、主にバルト海で活動することを目的に設計されていたため復元性に問題があった。その為、大西洋でも活動できるよう復元性の改善工事が行われ、探照灯台や一部搭載艇を撤去し、後部魚雷発射管を撤去した代わりに10.2センチ単装高角砲を1基搭載した。その後1940年5月にグロムは沈没したが、ブリスカヴィカは1941年12月に改装工事をうけた。この際、全主砲をイギリス製10.2センチ連装高角砲4基に換装し、後部魚雷発射管を再装備した。また、13.2mm機関銃を全て撤去して20mm単装機銃4基を装備している。以後も、イギリス製レーダーの増備や前部魚雷発射管撤去、測定儀を高射指揮装置へ換装、爆雷投射機の増備などが行われた。
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就役後の改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/17 03:22 UTC 版)
第二次世界大戦中の1940年にブルザは2番55cm三連装魚雷発射管1基を撤去して、跡地にアームストロング 7.62cm(45口径)高角砲を単装砲架で1基と、甲板上に12.7mm(62口径)連装機銃4基を追加した。 1942年更に主砲の13cm速射砲のうち1番・3番の計2基と4cmポンポン砲2基と12.7mm機銃全てを撤去、新たに対空火器として4cm四連装ポンポン砲を3番主砲跡地に1基、エリコン 2cm(76口径)機銃を単装砲架で4基に更新。対潜兵装として17.8cm24連装対潜爆雷投射機1基を搭載した。他に271型レーダーと292型レーダーを搭載した結果、満載排水量は2,430トンに増加した。1943年にエリコン 2cm単装機銃2丁が追加装備された。
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就役後の改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:46 UTC 版)
「マエストラーレ級駆逐艦」の記事における「就役後の改装」の解説
竣工後は防空能力を強化するため、40mm及び13.2mm機銃を撤去し20mm単装機銃6門へと換装を行った。第二次世界大戦中においてはマエストラーレがレーダー未装備を補うために装備していた星弾用の15口径12cm榴弾砲を撤去して、「アンサルド社製 50口径 12cm単装砲」と換装した。他にも対空砲増備としてグレカーレとマエストラーレが後部魚雷発射管を撤去して37mm単装機関砲を2門装備し、20mm機銃も単装・連装合わせて12門程度を装備した。
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就役後の改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:05 UTC 版)
就役後の1916年に弾薬庫の上面に25mm装甲が追加された。1918年に2番・3番主砲塔上の陸上機の滑走台が装着されたが1922年までに撤去された。1930年12月から1934年1月にかけて近代化改装が行われた。主甲板の防御強化のために弾薬庫の上部に127mm装甲を貼った。水雷防御の強化のために舷側にバルジを追加した事により艦幅は31.7mに増加し、満載排水量は36,785トンとなった。 1920年代に撮られた艦隊行動中のバーラム。後続の艦は右側がマレーヤ。奥の航空母艦はアーガス。 1941年以降に地中海で撮られた近代化改装後のバーラム。 外観上の相違点では艦橋の基部が大型化して多層構造となったほか、煙突の形状が2本煙突の上部が結合して1本煙突となった。後部マストも単脚から三脚型に改装された。対空火器の増加が行われ、水上機の運用のために中央部の甲板が大型化し、3番主砲塔上にカタパルトが設置され、水上機の運用のために後部マストの左側にクレーン1基が追加された。1938年に10.2cm高角砲が連装化したのに続き1940年3月に2番主砲塔上に新型の17.8cm20連装ロケット砲1基が装備されたが、1941年には撤去されて12.7mm四連装機銃に換装された。 1940年代にクイーン・エリザベスが行ったのと同様の近代化改装が行われる予定であったが、第二次世界大戦の勃発により果たされなかった。 武装の追加・撤去の相違は以下の通りである。 改装年副砲備砲対空火器機関砲機銃雷装その他就役時 15.2cm速射砲14基 4.7cm礼砲4基 7.6cm単装高角砲2基 ← ← 53.3cm魚雷発射管単装4門 ← 1916年 15.2cm速射砲12基 ← 7.6cm単装高角砲4基 ← ← ← ← 1926年 ← ← 10.2cm(45口径)単装高角砲4基 ← ← ← ← 1934年 ← ← ← 4cm(39口径)八連装ポンポン砲2基 12.7mm(62口径)四連装機銃2基 53.3cm魚雷発射管単装2門 水上機1機とカタパルト1基装備 1938年 ← ← 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 ← ← 撤去 ← 1940年3月 ← ← 10.2cm(45口径)連装高角砲4基17.8cm20連装ロケット砲1基 ← ← 撤去 ← 1941年 ← ← 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 4cm(39口径)八連装ポンポン砲4基 12.7mm(62口径)四連装機銃4基 撤去 ←
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就役後の改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 04:30 UTC 版)
「セントルイス級防護巡洋艦」の記事における「就役後の改装」の解説
1911年に37mm砲と機関銃が撤去された。また47mm砲も4基のみが礼砲用として残された物以外は撤去された。その残された47mm砲も第一次世界大戦の間に全て撤去された。2基の主砲も撤去され、対空砲が増設された。石炭の搭載量は650トンから1650トンまで増やされた。
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