就役後から第一次大戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 04:29 UTC 版)
「コロラド級戦艦」の記事における「就役後から第一次大戦後」の解説
コロラド級の船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体である。鋭く前方に傾斜したクリッパー型艦首から艦首甲板上に「Mark 1 1921年型 40.6cm(45口径)砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に司令塔が立つ。司令塔の背後から箱型の艦橋が立ち船橋(ブリッジ)で接続させていた。艦橋を基部として当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立つ。前部マストの下部に航海艦橋、頂上部に露天の見張り所を持つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲が艦載艇置き場となっており、1番煙突の側面部に片舷に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーン2基により運用された。2番煙突の後方で船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がって籠状の後部マストと3番・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置されていた。 コロラド級の副砲である「12.7cm(51口径)速射砲」は2番主砲塔後方の上部構造物上に単装砲架で片舷1基ずつ2基と、船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基の計12基を搭載していた。
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就役後から第一次大戦後
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「ワイオミング級戦艦」の記事における「就役後から第一次大戦後」の解説
ワイオミング級の船体形状は武装増加に伴う艦内居住空間の増加のために平甲板型船体に改められた。しかし、艦首の乾舷が不足したために外洋航行時の凌波性が不足し、フロリダ級で改善された居住空間も武装強化のために再び悪化して艦隊側の評価は高くならなかった。 艦首水面下に浮力確保用の膨らみを持つ艦首から艦首甲板上にMark 7 30.5cm(50口径)砲を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に操舵装置を組み込んだ司令塔が立つ。司令塔の背後からこの当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立ち、司令塔と前部マストを基部として断面図が三角形状の船橋が設けられていた。前部マストの下部に航海艦橋、頂上部に露天の見張り所を持つ。前部マストの後部に前後で太さの異なる2本煙突が立ち、そこから甲板一段分下がった左右舷側甲板上が艦載艇置き場となっており、2番煙突側面部に左右に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーンにより運用された。2番煙突の後方に頂上部に露天の見張り台が置かれた籠状の後部マストが立つ。後部甲板上には3番・4番・5番・6番主砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基ずつ計4基が配置されていた。 ワイオミング級の副砲である12.7cm(51口径)速射砲は2番主砲塔後方の上部構造物状に単装砲架で片舷2基ずつ4基と、舷側部に1番主砲塔の前方部に独立して1基が配置されたが波浪の影響を受けやすかったので竣工後に移設された。他に船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基と、6番主砲塔側面部から艦尾にかけて片舷2基ずつと艦尾中央部に1基を配置して計21基を搭載していた。しかし、就役後の外洋航行中に艦尾側の3門は開口部から波浪が侵入し浸水被害を齎したので撤去。更に本級は艦首の凌波性が悪くて艦首で砕けた波が2番主砲塔側面の2基まで降りかかったため、そちらの2基も撤去して計16基となった。 なお、副砲撤去と同じ頃の1916年に飛行船による航空爆撃の危険性が示唆されたためにMk 10 7.62cm(50口径)高角砲を単装砲架で4基を遮蔽物の少ない高所にある2番・3番主砲塔上に並列配置で2基ずつ計4基を配置したが、後に1918年に4基を追加装備して計8基となった。
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