就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:14 UTC 版)
「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)」の記事における「就役後の武装転換」の解説
就役後の1935年から1936年にかけてボイラーを重油専焼缶に更新した際にボイラー数が減少したため煙突は2本から1本に減少した。武装面においては艦首側の15cm速射砲2基、舷側の7.5cm速射砲8基、3.7cm機砲2基が撤去され、替りに、ボフォーズ 4cm(56口径)機関砲が単装砲架で2基、ブローニング 12.7mm(90口径)機銃が連装砲架で3基が搭載された。その後1941年に15cm速射砲2基が撤去され、ボフォーズ 4cm単装機関砲が4基追加された。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)」の記事については、「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:42 UTC 版)
「ガングート級戦艦」の記事における「就役後の武装転換」の解説
第一次世界大戦後の近代化改装により対空火器が追加され「1935年型 7.62cm(55口径)高角砲」を採用した。その性能は重量11.5 kgの砲弾を最大仰角85度で最大射高8,970 mまで届かせる事ができる性能であった。発射速度は毎分15~18発、仰角は85度/俯角5度で動力は人力を必要とした。射界は露天では360度の旋回角度を持っていたが実際は上部構造物により射界は制限があった。これを防盾の付いた単装砲架で1番.4番主砲塔上に3基ずつの計6基配置した。 他に近接対空にオチキス社の「13.2mm(76口径)機関銃」を4連装砲架で6基と単装砲架で12基を搭載したが、更に1942年に前部艦橋と後部艦橋の上部に「1942型 4.5cm(68口径)機関砲」を単装砲架で3基ずつ計6基を増設した。これら対空火器の口径は同時期の列強海軍に比べて若干、口径が小さく感じられるが、これは霧の立ち込めるバルト海では航空機は高空を飛べないので、「この程度で充分」とソ連海軍では考えられていたためである。なお、機銃等は艦により搭載数がまちまちで詳しい数は不明である。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「ガングート級戦艦」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「ガングート級戦艦」の記事については、「ガングート級戦艦」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/30 16:04 UTC 版)
「コルフ (仮装巡洋艦)」の記事における「就役後の武装転換」の解説
就役後の1943年に主砲の15.2cm速射砲8基を撤去し、仰角を30度まで引き上げた新型砲架のMark XII型に更新、これを単装砲架で9基を搭載した。また、旧式だった7.6cm高角砲はMark V 10.2cm(45口径)高角砲に換装された。その性能は14.6kgの砲弾を仰角44度で15,020m、最大仰角80度で9,450mの高度まで到達できた。砲架は左右方向に150度旋回でき、俯仰は仰角80度、俯角5度で発射速度は毎分10~15発だった。これを連装砲架で2基を搭載した。 他に近接火器としてヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲を単装砲架で4基、エリコン 2cm(76口径)機関砲を単装砲架で19基追加した。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「コルフ (仮装巡洋艦)」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「コルフ (仮装巡洋艦)」の記事については、「コルフ (仮装巡洋艦)」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 17:07 UTC 版)
「シアリーズ級軽巡洋艦」の記事における「就役後の武装転換」の解説
1938年に「コヴェントリ―」は4cm8連装ポンポン砲1基を撤去し、「ヴィッカース 12.7mm(62口径)重機関銃」を四連装砲架で2基を追加した。1939年に「コヴェントリ―」、「カーリュー」は10.2cm単装高角砲2基を撤去し、このうち「カーリュー」は12.7mm四連装機銃2基を追加した。 1940年12月に「キュラソー」は「17.8cm20連装対空ロケット砲」を1基を搭載したが1941年9月に新型レーダーを282型と285レーダーに更新した際にロケット砲を撤去し、代わりに4cm単装ポンポン砲2基を搭載した。9月に「キュラソー」は273型レーダーを搭載した際にエリコン 2cm単装機銃5基を追加した。この改装時に満載排水量は5,400トンとなった。 1942年4月に「カーディフ」は290型レーダーを搭載する際に対空火器として「エリコン 2cm(76口径)機関砲」を単装砲架で6基を追加した。同じ年の5月に「コヴェントリー」はエリコン 2cm機銃を5基、「シアリーズ」は6基を搭載した。1943年に「カーディフは273型レーダーを搭載し、同年に「シアリーズ」は4cm単装ポンポン砲2基を撤去し、273型レーダーと290型レーダーを搭載した。1944年に「シアリーズ」は7.6cm単装高角砲2基を撤去し、代わりにエリコン 2cm単装機銃8基を追加した。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「シアリーズ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「シアリーズ級軽巡洋艦」の記事については、「シアリーズ級軽巡洋艦」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:54 UTC 版)
当初の対空兵装は進化する航空機には対抗できず、1936年~1939年の改装で10cm高角砲2基と40mmポンポン砲砲と12.7mm機銃全てを撤去し、替わりに高角砲を補うために国産ブレーダ社のModels 1932 3.7cm(54口径)機関砲を採用した。その性能は、0.83kgの砲弾を仰角45度で7,800m、仰角80度で5,000mの高さまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角80度・俯角10度である。旋回角度は舷側方向を0度として左右120度の旋回角度を持っていた。砲架の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分60~120発である。この機関砲を連装砲架で4基8門を搭載した。 他に近接対空用に同じくブレダ社のModel 1931 13.2mm(75.7口径)機銃を採用した。その性能は0.051kgの機銃弾を仰角45度で6,000m、仰角85度で2,000mの高さまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角85度・俯角11度である。旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、上部構造物に射界を制限された。砲架の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分500発である。この機銃を連装砲架で4基を搭載した。 1940年に、照明弾発射専用の12cm(15口径)単装砲2基が搭載された。ゴリツィアのみ1942年に12cm単装砲2基が撤去され、3.7cm連装機関砲2基が装備された。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「ザラ級重巡洋艦」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「ザラ級重巡洋艦」の記事については、「ザラ級重巡洋艦」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/23 05:40 UTC 版)
「シュフラン級重巡洋艦」の記事における「就役後の武装転換」の解説
就役後に本級4隻はオチキス社の「13.2mm(76口径)機関銃」を四連装砲架で3機を追加した。1933年に「シュフラン」は55cm魚雷発射管2基を減じた。 1942年までに「コルベール」はレーダ―を装備したほか3.7cm(50口径)機関砲を単装砲架で6基、13.2mm四連装機銃4機を追加し、同連装機銃2基を追加したほか8mm(80口径)単装機銃4丁を追加した。「フォッシュ」と「デュプレクス」は3.7cm(50口径)機関砲を連装砲架で4基、13.2mm四連装機銃4基を追加し、同連装機銃2基を追加した。「オチキス8mm(80口径)単装機銃」は「フォッシュ」は7丁で「デュプレクス」は3丁で異なっていた。 自由フランス参加後の「シュフラン」は水上機とカタパルトなどの航空施設と後部マスト。武装面では3.7cm機関砲と55cm魚雷発射管の全てを撤去し、新たに「ボフォーズ 4cm(56口径)機関砲」を四連装砲架で2基、「エリコン 2cm(76口径)機関砲」単装砲架で20基を追加し対空火器を強化した。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「シュフラン級重巡洋艦」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「シュフラン級重巡洋艦」の記事については、「シュフラン級重巡洋艦」の概要を参照ください。
就役後の武装転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:23 UTC 版)
竣工後の1920年代の近代改装において副砲4基と45cm魚雷発射管4基を撤去し、浮いた重量で対空兵装として「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が採用された。この砲はロングセラーで、続くシュフラン級重巡洋艦と戦利巡洋艦にも搭載された。その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で14,100mまで、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせることができた。砲身の俯仰能力は仰角90度・俯角10度で、旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分8〜15発であった。これを「ジャン・バール」「クールベ」は単装砲架で4基を搭載されたが「パリ」は3基であった。後に1938年に「クールベ」のみ7.5cm高角砲を6基とした。1939年に「クールベ」と「パリ」は13.2mm(76口径)連装機銃6基と13.2mm(90口径)単装機銃2基を搭載した。
※この「就役後の武装転換」の解説は、「クールベ級戦艦」の解説の一部です。
「就役後の武装転換」を含む「クールベ級戦艦」の記事については、「クールベ級戦艦」の概要を参照ください。
- 就役後の武装転換のページへのリンク