就役・北方艦隊へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:37 UTC 版)
「アドミラル・クズネツォフ (空母)」の記事における「就役・北方艦隊へ」の解説
1990年12月25日に海軍へ納入、翌1991年1月20日に海軍旗掲揚式典が開催され、北方艦隊へ編入された。このあと、1991年8月に黒海を抜けてムルマンスク方面に向かう予定であり、「8月にボスポラス、ダータネルス海峡通過」の旨はトルコを始め関係各国に事前通告済みだったが、人員不足などの理由により出港が遅れ、ソ連邦崩壊直前になって両海峡を通過、正規の乗員が揃わないまま黒海を後にして北方に向かった。 ソビエト連邦の崩壊時、独立宣言したウクライナ政府は本艦及び僚艦「ヴァリャーグ」に対して帰属を主張し、「ウクライナの財産であるから直ちに戻れ」との命令を発した。同艦が直属の北方艦隊司令部にこの事を報告した後、同艦隊副司令官が北方艦隊主要基地のセヴェロモルスクから同艦に駆け付け、「直ちにセヴェロモルスクへ向かえ」と命令して黒海から移動した。 この時ウクライナとロシアが所有権を争ったのは、「ソ連黒海艦隊に所属する艦」だったが、「クズネツォフ」は就役時(海軍旗掲揚式典開催)から北方艦隊に編入されており、ウクライナが接収しようとする法的根拠は無かったとされる。「ヴァリャーグ」は建造中(艤装中)だったこともあり、ウクライナにそのまま接収され、後に中国に売却されて「遼寧」として就役した。 ボスポラス、ダータネルス海峡を通過した「クズネツォフ」は、エーゲ海で地元漁船の網がスクリューに絡まったり、乗員2名が脱走を企てて拘束されるというハプニングを経験した後にバレンツ海に到着したが、その大きさからセヴェロモルスク港には接岸できなかったため、近くのウラ・グバに入港した。その数日後、ソビエト連邦は消滅した。
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