増野家小松家とは? わかりやすく解説

増野家・小松家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:01 UTC 版)

いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事における「増野家・小松家」の解説

シマシマ → 増野シマ) 演:杉咲花 三島家仕え女中。五りんの祖母弥彦活躍応援し弥彦四三見守るうちにスポーツへの興味を抱くようになる。のちに三島家出てミルクホール女給として働きながら東京女子高等師範学校受験目指す進学後はマラソン競技女子の参加嘉納打診するが、マラソン女子体質向いてないと却下され協力者信じて相談した二階堂にも理解され不良扱いされる。が、女子体育強化次第積極的となる二階堂打ち解けていく。 卒業後、偶然に四三と同じ東京府立第二高等女学校(竹早)に赴任スポーツ楽しさ伝えよう尽力する四三力を貸し教え子たちとともにスポーツ取り組んでいる。また、オリンピック出場への夢を抱く。そのため二階堂が縁で知りあった増野との結婚当初辞退しようとするが、仕事への情熱陸上競技への夢を受け止められる。1921年四三スヤ夫妻仲人のもとで結婚一人娘のりくを授かる村田梶原テニス遠征付き添い岡山高等女学校行った際は人見絹枝身体能力の高さに感銘を受け、人見陸上競技勧誘する。またその後女子陸上大会の開催に際して出場を頼む手紙送り働きかける村田生徒放課後浅草オペラ観る約束凌雲閣12階待ち合わせをするなか関東大震災被災し行方不明となる。 増野(ますの) 演:柄本佑 シマの夫。百貨店従業員。五りんの祖父二階堂との見合い話が用意されていたが、二階堂乗り気でなく、二階堂頼まれ代理出席したシマ見合いをしたことを機に交際始める。 当初教員仕事楽しさと、オリンピックに出場する夢を捨てきれないシマから結婚躊躇される。しかし結婚理由仕事辞めることを反対し、オリンピック活躍するシマ子供一緒に観に行く旨を誓い結婚踏み切る。 ところが、関東大震災シマが行不明となり、悲しみ暮れながらも懸命に捜索を行う。体協から復興運動会の開催提案された際も、シマ聞き付け現れることを期待して開催賛成する結局本番までシマ現れることはなかったが人見対面し人見へのシマの手紙を読むことになる。そして、女子たちのリレー観戦していた時にシマ幻影目撃。妻がもうこの世にいないことを悟りシマの死を受け入れる。 その後は男一つ手で娘を育てながらハリマヤ製作所出入りし、りくと共に活躍応援している。 シマそっくりに成長したりくに対して自分より若干妻の方が似てると発言するなど、親バカぶりを見せる。なお、りくのことをちゃん付けで呼ぶ小松勝を警戒していたが、結局渋々2人結婚認める。 小松出征決まった後、ハリマヤ製作所乗り込む小松蹴飛ばし襟首掴み、りくと幼い孫を置いて行くことを激しく非難するが、その後に必ず生還するように念を押して出征する小松を見送る。 シマのことはその後大切に想っており、皆で写真を撮る際にはシマとの結婚写真持って写るなどしている。この写真は後に五りんの手渡っている。 終戦直後時点では存命であったが、その後の動向については明らかになっていない。ただし、孫である五りんが知恵と共にハリマヤ訪ねた際に増野が写った写真見た時は特に反応していなかったり、前述シマとの結婚写真が五りんの手渡っているなど、後に亡くなったことを示唆する描写が多い。 五りん(ごりん) (小松 → 五りん) 演:神木隆之介 本名小松金治。1940年生まれシマと増野の孫。 芸名は、志ん生がかつて円喬から朝太の名とともに貰った五厘にちなん与えたもので、オリンピック通称五輪」とは全く関係ない古今亭志ん生美濃部孝蔵とともにドラマ語りナレーター)も担当しており、主に女子スポーツに関するパート、特にシマ物語担当している。 母りくの形見である、亡き父が出征先の満州から送った絵葉書に「志ん生の『富久』は絶品と書かれていたことから志ん生を慕い落語知識皆無ながらも昭和35年弟子入り志願当初志ん生に断られるが、飄々として人懐こい性格で志ん生の懐に入り込み弟子になる。ただし身の周り世話以外何もしておらず実質付き人という扱いであり、志ん生自身稽古をつけるつもりは無いと言う。 父からの言いつけ健康法として冷水頭から被る習慣を持つ。 昭和36年正月には、箱根駅伝にあやかった駅伝落語として『富久』を今から仕込まれるが、落語基礎さえまるでできず、代わりに自身書いた創作落語箱根駅伝』を高座上げることになる。当初は志ん生も含めた3人だけで回すはずが人数足りなくなり、志ん生の子である馬生や朝太の手借りながら、これを完走金栗四三サイン会訪れ本名名乗り亡き弟子小松息子として四三対面するその後創作落語オリンピック噺を高座上げテレビ寄席出演きっかけ田畑よりオリンピック宣伝部長に任命されるその後は志ん生の元を突然出奔し落語界から距離を置く知恵妊娠したため生活費を稼ぐために工事現場働いていた所を見つけ、訪れた美津子落語会代表として五輪聖火リレーへの参加依頼される東京オリンピック開催日知恵出産予定日であったため一度断るが、考え直し走者1人として走行し点火され聖火見届けるその後国立競技場からの志ん生の元まで完走し粋な会話許され落語界に戻る。その直後報せを受け、知恵産気付いて運ばれ浅草病院まで『富久』を話しながら疾走し知恵産まれた娘の元に駆け付ける。娘が生まれ最中自分走りながら話していた『富久』と知恵に名前にちなみ、娘には富恵と名付ける阿部 知恵(あべ ちえ) 演:川栄李奈 五りんの恋人ちーちゃんとも呼ばれる。 五りんが志ん生を探すのに付き合い一緒に志ん生の自宅訪れる。 五りんと同じく人懐こく物怖じしない性格で、五りんが志ん生に弟子入り後は、勝手に志ん生の家に上がったり、志ん生のことを「おじいちゃん呼ばわりし対等に会話交わしたりしている。物語終盤では五りんとの子を身ごもり、東京オリンピック開催日産気付き浅草病院で娘の富恵を産む。 小松勝(こまつ まさる) 演:仲野太賀 五りんの父。熊本中学校学生上京後東京文理科大学在学四三著書ランニング」を読んで四三慕い池部家で暮らす四三訪ねて弟子入りする。 やがてオリンピック出場夢見て四三とともに上京しハリマヤ製作所下宿する明るく大らかかつ実直な性格で、増野の前でもりくを「ちゃん」付け呼びベルリン五輪ラジオ中継聞く中、勢いでりくと抱き合うデリカシー欠けた言行に及ぶことがあり、その度に増野からは難色示され四三から制止される。りくと接している際のあからさまな表情態度見たスヤからは眉をひそめられ、陰で「盛りのついた肥後もっこす」と称される。 のちにりくと学生結婚し一人息子の金治(のちの五りん)をもうける。 ところが東京五輪開催返上となり、自身学徒出陣により出征出征中に立ち寄った満州で、慰問団として来ていた志ん生らと出会う配属部隊長の情け部隊脱走促され脱走兵となる。終戦前後混乱の中で再び志ん生らと出会い些細な行動から2人の命を助けその後満洲行動共にする。自らのアイデアで志ん生がアレンジした富久』を聞いて外を走りたくなり、屋外出たところでソ連兵達と遭遇ロシア語での誰何恐慌して逃走図ってしまい、妻子との再会オリンピック出場夢見ながら射殺された。 小松りく(こまつ りく) (増野りく → 小松りく) 演:杉咲花 シマと増野の一人娘。五りんの母。 大正11年1922年生まれシマ陸上競技好きであることから、「りく」と命名される関東大震災によりシマが行不明となり、以降は増野と共に大塚暮らしハリマヤ製作所出入りしながら育つ。四三シマ間違えるほど瓜二つ昭和11年1936年時点ではハリマヤ製作所お針子。 のちに小松結婚し一人息子の金治(のちの五りん)をもうける。幼い五りんと共に小松出征見送り復員心待ちにしていたが、終戦後満州から届いた夫の訃報涙する。 五りんの話によれば昭和35年1960年)に他界している。

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