女子の参加
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第1回のアテネ五輪の当時、陸上競技は男子のみで行われており、マラソンも例外ではなかった(ただし、翌日に同じコースを走ったスタマタ・レヴィチ(あるいは「メルポメネ」)という女性がおり、史上初の女子マラソンランナーとされる)。その後女子の陸上競技への参加が認められるようになっても、「女子がマラソンを走ることは生理的に困難」という見解が広く信じられ、オリンピックをはじめとするマラソン大会も男子のみで開催されていた。これに対して、1966年のボストンマラソンで主催者に隠れて参加する女子が出現、その後も年を追って非公式の女子の参加者が増えたため、1972年に女子の参加が認められた。日本国内で初めてマラソン公認コースを競技として走った女性は、1975年7月26日に網走市のコースに挑んだ札幌短期大学(現・札幌学院大学)の6人の選手(須藤令子が4時間07分40秒でトップ)である。 1978年、世界初の女性限定マラソン大会として第1回国際女子マラソンがアメリカ合衆国・アトランタで開催され、続いて日本初の女性限定マラソン大会として女子タートルフルマラソン全国大会が東京都東大和市で開催された。 1979年の別府大分毎日マラソンでは試験的に女子にも門戸を開放。同年秋にIAAFが公認する史上初の女性限定マラソン大会として東京国際女子マラソンが開催された。 オリンピックで女子のマラソンが正式に採用されたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックからである。 2012年より名古屋ウィメンズマラソンが開催され、「世界最大の女子マラソン大会」としてギネス世界記録に認定されている。
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女子の参加
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「日本学生氷上競技選手権大会」の記事における「女子の参加」の解説
フィギュアスケートでは第22回(1950年)から女子シングルを実施している。この大会より女子選手がインカレに参加できるようになった。第26回(1954年)から大学別順位が付くこととなった。 スピードスケートでは第25回(1953年)に女子の参加があったが、大学別順位が付いたのは第40回(1968年)からであった。 女子の大学別総合順位は第54回(1982年)から付くようになった。 アイスホッケーは第90回記念大会(2018年)から女子部門が新設された。ただし、オープン競技としての扱いで大学別総合順位の計算対象とはならない。
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