城願寺 (神奈川県湯河原町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 城願寺 (神奈川県湯河原町)の意味・解説 

城願寺 (神奈川県湯河原町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 07:17 UTC 版)

城願寺
所在地 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252番地
位置 北緯35度8分52.1秒 東経139度6分6.7秒 / 北緯35.147806度 東経139.101861度 / 35.147806; 139.101861座標: 北緯35度8分52.1秒 東経139度6分6.7秒 / 北緯35.147806度 東経139.101861度 / 35.147806; 139.101861
山号 万年山[1]
宗旨 曹洞宗[1]
本尊 聖観音[1]
開山 大鑑禅師(清拙正澄
開基 土肥兵衛入道
正式名 万年山 城願寺
文化財 土肥一族墓所(県指定)
公式サイト 城願寺
法人番号 9021005005890
テンプレートを表示

城願寺(じょうがんじ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町にある曹洞宗の寺院。山号は万年山。

概要

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将土肥実平の草創と伝える。その後衰退していたが、南北朝時代に土肥実平の末裔の土肥兵衛入道が、清拙正澄(大鑑禅師)の弟子の禅僧雲林清深を開山に招請して再興。もと密教寺院だったものを臨済宗に改め、清拙正澄を勧請開山(名目上の開山)とした。その後ふたたび衰退したが、戦国時代に大州育守(鎌倉海蔵寺三世)が再興し、曹洞宗に改宗した。[2]

土肥一族墓所や、石橋山の戦い源頼朝と共に逃げのびた頼朝七騎が祭られた七騎堂が境内にある。

文化財

天然記念物(国指定)
神奈川県指定文化財
  • 土肥一族墓所 - 多数の石塔のなかには、嘉元2年(1304年)銘の五重石塔、永和元年(1375年)銘の宝篋印塔などを含む。

ギャラリー

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「城願寺 (神奈川県湯河原町)」の関連用語

城願寺 (神奈川県湯河原町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



城願寺 (神奈川県湯河原町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの城願寺 (神奈川県湯河原町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS