名称表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/28 14:39 UTC 版)
「LoungeGate」の記事における「名称表記」の解説
LOUNGE GATE、Lounge Gateなどと表記されるが正しくはLoungeGateとワンワード。
※この「名称表記」の解説は、「LoungeGate」の解説の一部です。
「名称表記」を含む「LoungeGate」の記事については、「LoungeGate」の概要を参照ください。
名称表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 17:36 UTC 版)
河川名は志戸川であり、各橋の橋名板にも志戸川と表示されているが、かつては別の漢字表記も見られた。武蔵国郡村誌には志戸川とともに志度川という表記も見られる。またJR八高線の橋梁には「志度川橋りょう」、JR高崎線の橋梁には「支度川橋りょう」との表示がある。
※この「名称表記」の解説は、「志戸川」の解説の一部です。
「名称表記」を含む「志戸川」の記事については、「志戸川」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 02:42 UTC 版)
現存する『三国志(魏志倭人伝)』の版本では「邪馬壹國」と書かれている。『三国志』は晋の時代に陳寿(233-297)が編纂したものであるが、現存する刊本で最古のものは、12世紀の宋代の紹興本(紹興年間(1131年 - 1162年)刻版)と紹熙本(紹熙年間(1190年 - 1194年)刻版)である。一方、勅撰の類書でみると、宋代の『太平御覧』現存刊本は、成本時期が10世紀で現存の『三国志』刊本時期より古いが、『三国志』を引用した箇所をみると「邪馬臺国」の表記が用いられている。 『三国志』より後の5世紀の『後漢書』倭伝現存刊本では「邪馬臺国」、7世紀の『梁書』倭伝現存刊本では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』現存刊本では俀国について「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」(魏志にいう邪馬臺)、唐代の『北史』四夷伝現存刊本では「居于邪摩堆 則魏志所謂邪馬臺者也」となっている。これらの正史現存刊本は、用字が不安定であるが、現存の宋代の『三国志』より古い、不安定な諸写本を引用しているために不安定となっているものと推定される。 日本の漢字制限後の当用漢字、常用漢字、教育漢字では、「壹」は壱か一にあたる文字(ただし通常は壱で代用する)であり、「臺」は台にあたる文字である。 表記のぶれをめぐっては、11世紀以前の史料の現存刊本に「壹」は見られないため、「壹」を「臺」の版を重ねた事による誤記とする説 のほか、「壹與遣,倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送,政等還。因詣臺,」から混同を避けるために書き分けたとする説、魏の皇帝の居所を指す「臺」の文字を東の蛮人の国名には用いず「壹」を用いたとする説 などがある。
※この「名称・表記」の解説は、「邪馬台国」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「邪馬台国」の記事については、「邪馬台国」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 19:16 UTC 版)
朝鮮語で「野菜を漬けたもの」の意である沈菜(침채、チムチェ)が語源とする説や、沈漬(チムチ)、鹹菜(ハムチェ)を語源とする説など各種あり、定かではない。 英語表記については、kimuchi(日本語の読み)と表記したものと kimchi と表記したものが同時に使われていたが、東京で開かれた国際食品規格委員会 (CODEX) で日本が浅漬けを含む kimuchi をキムチの標準としようとしたことに対し、韓国は kimchi(朝鮮語語音からマッキューン=ライシャワー式にて転写)であると主張し、1996年3月に国際食品規格委員会 (CODEX) のアジア部会にて朝鮮語式の kimchi が認められた。一方、文化観光部2000年式では gimchi であり、英語圏においては例えばアメリカの朝鮮料理店では、kim chee 又は kimchee とメニューに書かれていることが多く、他にも Korean pickles、Fermented vegetable foodsという表記もされる。
※この「名称・表記」の解説は、「キムチ」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「キムチ」の記事については、「キムチ」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:45 UTC 版)
英語のcondensed milk(直訳的には「凝縮された牛乳」)は濃縮乳全般を指す概念である。日本では「コンデンスミルク」が加糖全脂練乳の通称として用いられており、砂糖を加えないで精製した無糖練乳(エバミルク、英: evaporated milk に由来)とは区別されている。 英語のcondensedは /kəndénst/ と発音し、カナ転記としては「コンデンストミルク」表記が近いが、「コンデンスドミルク」とも表記される。「コンデンスミルク」という表記は1872年(明治5年)の『新聞雑誌』記事に用例が見られる。 なお「練乳」の本来の表記は「加熱精製した乳」という意味の煉乳であるが、「煉」が常用漢字に入っていないため、法令では「れん乳」、新聞等では「練乳」と書かれる。
※この「名称・表記」の解説は、「加糖練乳」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「加糖練乳」の記事については、「加糖練乳」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 03:14 UTC 版)
玄は暗い・黒いという意味である。玄界灘のことを略して「玄海(げんかい)」とも呼ぶ。これは「玄界灘」の省略記法でもあり、海を意味する漢字が複数使用される「玄海灘」は誤記であるとされている。古くは「玄界洋」とも書かれ、これを略して「玄洋(げんよう)」という呼び方もあり、学校や団体の名称に使われる例がある。
※この「名称・表記」の解説は、「玄界灘」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「玄界灘」の記事については、「玄界灘」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 15:17 UTC 版)
日本語では『ギンギンタラス』と表記されることが多いが、東方見聞録の写本によって『Chingintalas』、『Chinchitalas』、『Cincitalas』、『Chinghintalas』など様々な形で表記されている。この地方はモンゴルによる統治時代に『別失八里等処行中書省』の管区をなし、これが『行省管区』Hsing-shingdarasiと略称され、訛ってギンギンタラスとしてマルコ・ポーロに伝承されたとされる。
※この「名称・表記」の解説は、「ギンギンタラス」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「ギンギンタラス」の記事については、「ギンギンタラス」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:03 UTC 版)
ヘブライ語: יְרוּשָׁלַיִם (イェルシャライム)、アラビア語: القُدس(al-Quds, アル=クドゥス、アル=クッズ、アル=ウッズ)、英語: Jerusalem (英語発音: [ʤəˈruːsələm] ジャルーサラム)。ラテン語では Hierosolyma (ヒエロソリュマ)で、これはギリシア語名の Ἱεροσόλυμα をそのままローマ字に音写したもの である。
※この「名称・表記」の解説は、「エルサレム」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「エルサレム」の記事については、「エルサレム」の概要を参照ください。
名称・表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:33 UTC 版)
JR西日本による正式名称は旧橋梁・現橋梁ともに地名と同じ「余部」を使用した「余部橋梁」である。常用漢字に含まれない「梁」については、平仮名書き、漢字書きの双方が混在している。「余部橋りょう」の書き方は鉄道の現業機関において広く使われている表記で、鉄道建造物台帳に記載されており、旧橋梁の橋桁にも記載されていた。一方「余部橋梁」の書き方も、構造物設計事務所の作成する橋梁設計図面などで見られる。 第二次世界大戦前は正字体の「餘」を使用した「餘部橋梁」表記が一貫して用いられていた。 旧橋梁の別称・愛称は前述のように「余部鉄橋」で、これは古くから地元で使われており、使用される範囲も地元の観光パンフレットのほか、大半の地図でも記されるなど広範囲にわたって使用された。かつては「余部陸橋」や「余部高架橋」の表記・呼称も使用されていた。 新橋梁の別称・愛称は、正式名称に沿い便宜的に「新」を入れた形で「新余部橋梁」「余部新橋梁」「余部新橋」、あるいは一部の鉄道ファンにて「余部鉄橋」(余部の鉄道橋の略称と解釈)などが混在して使用されている。また、地元向けの愛称を地区住民を対象に募集中で、案が出そろうのを待って愛称を決める予定となっている。 隣接する駅「餘部駅」は地名の読みと同じ「あまるべ」であるが、同じ兵庫県内に姫新線の余部(よべ)駅があるため、それと区別するため漢字を変更し「餘部駅」の表記にしたものである。 前述の要因から表記の揺れがあり、戦前にも用いられた過去があって駅名と同じ文字を用いた表記の「餘部橋梁」や、別称・愛称と組み合わせた「餘部鉄橋」も、戦後から現在に至るまで一部で使用されている(「餘」と「余」の字体に関しては「新字体#既存の字との衝突」も参照)。
※この「名称・表記」の解説は、「余部橋梁」の解説の一部です。
「名称・表記」を含む「余部橋梁」の記事については、「余部橋梁」の概要を参照ください。
- 名称表記のページへのリンク