名称・見所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 08:29 UTC 版)
「マアッラト・アン=ヌウマーン」の記事における「名称・見所」の解説
ギリシャ人からはアッラ(Arra)と呼ばれ、十字軍にはマッレ(Marre)と呼ばれたこの街は、現在では伝統的な名前のマアッラと、預言者ムハンマドの教友(サハーバ)でマアッラ最初のムスリムの領主アン=ヌウマーン・イブン=バシール(al-Nu‘mān ibn Bashīr)の名を組み合わせた都市名を使用している。 街の主な見所には、周囲のデッド・シティから発見されたモザイクなどを収めた博物館、1170年の大地震後に再建されたモスクとミナレット、1199年に創建されたマドラサ・アブー・アル=ファラウィス(madrasa Abū al-Farawis)、中世の城塞の遺跡などがある。またマアッラト・アン=ヌウマーンは、高名な詩人アブー・アル=アラー・アル=マアッリー(Abū al-Alā' al-Ma‘arrī、973年 - 1057年)の生誕地でもある。アル=マアッリーは盲目の詩人・哲学者で、合理主義的な主張を行い、イスラム教の教理を攻撃したことで知られる。
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