アメリカ合衆国海軍長官
海軍長官 | |
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![]() 海軍省紋章 | |
創設 | 1953年 |
初代 | ベンジャミン・ストッダート |
ウェブサイト | 公式ウェブサイト |

アメリカ合衆国海軍長官(アメリカがっしゅうこくかいぐんちょうかん、英語: Secretary of the Navy)は、海軍省のトップであり、海軍省の指揮監督を行う[1]。1947年までは内閣の閣僚であったが、国防総省と国防長官の設置後はその指揮監督下に置かれることとなった[1]。海軍軍人及び海兵隊員は海軍長官を非公式にSECNAV(セクナヴ)と呼ぶ。
職務
海軍長官は合衆国法典第10編の規定の下、大統領が指名及び上院の助言と承認(advice and consent)を受けた文民が就任する[2]。原則として軍の将校であったものは、退役して7年以内の者は指名されない[2]。
海軍長官は海軍省の全ての事務を指揮・監督する権限・義務を負っている。すなわち海軍省・海軍の人員を補充・組織・供給・装備・訓練・動員・復員させることができる。また海軍の艦船・施設・設備についての建造・支給・修理を監督する[2]。
歴代海軍長官(内閣)
歴代海軍長官(国防総省)
脚注
出典
関連項目
外部リンク
合衆国海軍長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 16:33 UTC 版)
「ジョセファス・ダニエルズ」の記事における「合衆国海軍長官」の解説
1912年の大統領選挙においてダニエルズは、ウッドロウ・ウィルソンを支持した。そして選挙に勝利したウィルソンは大統領就任後、1913年3月にダニエルズを海軍長官に任命した。ダニエルズはウィルソン大統領の任期満了となる1921年3月まで8年間、海軍長官を務め、第一次世界大戦では合衆国海軍を監督した。かれの下で、1913-20年まで次官を長くつとめたのが、フランクリン・ルーズベルトであった。 ダニエルズは海軍長官として、装甲板金工場や電信電話の所有権が政府にあると主張した。またダニエルズは1914年6月1日、合衆国海軍の艦船での飲酒を禁止する命令を発布した。ダニエルズは酒の代わりにコーヒーを推奨した。1杯のコーヒーを意味する俗語「Cup of Joe」はここから誕生した。 第一次世界大戦中、ダニエルズは海軍にとって有益となる発明を促進するため、海軍諮問委員会を創設した。ダニエルズは発明家トーマス・エジソンに対して諮問委員会の委員長就任を要請した。また第一次世界大戦に関してダニエルズは、合衆国では戦争参加のための十分な準備ができておらず、新たな技術が必要であると憂慮した。 またこの戦争中に合衆国海軍は戦艦・巡洋戦艦を始めとする大規模な艦艇の建造計画を立てた。この計画は大海軍法と呼ばれ、日本では計画立案当時の海軍長官である彼の名前からダニエルズ・プランと称されている。 ダニエルズは海軍長官在任中の1919年、合衆国海軍や政府に関する著書『海軍および国家』を刊行した。
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