刀工および名前の由来
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「へし切長谷部」の記事における「刀工および名前の由来」の解説
南北朝時代に活動した山城の刀工である長谷部国重によって作られた打刀とされている。国重は名工でしられる正宗に学んだ10名の門下生のことを指す正宗十哲の1人とされており、長谷部派の開祖と言われている。 へし切長谷部の名前の由来は、『黒田御家御重宝故実』並びに『御蔵御櫃現御品入組帳』によると、織田信長が、自分へ無礼を働いた観内という茶坊主を成敗した時、台所へ逃げて膳棚の下に隠れた観内を棚ごと「圧し切り」(刀身を押し当てて切ること)にして斬殺したことで、その際用いられた大切れ物の刀に「へし切」の異名が付けられた。
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刀工および名前の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 19:38 UTC 版)
平安時代の刀工・三条宗近の作で、直刀から刀身に鎬と反りのある形式の日本刀へ変化する時期の古い時代の作品である。制作年代については諸説あるが、古伝書の伝える一条天皇の治世の10世紀後半から11世紀前半(986年~1011年)もしくは12世紀ごろの作とみるのが一般的である。室町時代に編纂された刀剣書である「長享銘盡」には、以下のように記述されている。 三条小鍛治、寛和元<乙酉>御即位御門ヲ一条ノ院ト申、神武ヨリ六十六代也。……後鳥羽院御釼鵜丸造之。少納言入道信西所持ノ釼同。釼名ノ打ヤウ三条宗近トモ打。只三条トモ打。三日月ト云太刀造之。寺丸ト云釼也。又畠山庄次郎重忠太刀三尺一寸造之。又弁慶長刀岩融三尺五寸造之。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}このことから、遅くとも室町中期(1489年)には、「三条宗近作の三日月という太刀」が人々に知られていたと判断することができる。「天下五剣」の中でも最も美しいとも評され、「名物中の名物」とも呼び慣わされた。三日月宗近の名前の由来は、刀身に三日月形の打除け(うちのけ、刃文の一種)が数多くみられることによるものとされる。[要出典]
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刀工および名前の由来
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「石灯籠切虎徹」の記事における「刀工および名前の由来」の解説
江戸時代に長曽祢興里により作られた日本刀(打刀)である。燈篭切虎徹とも呼ばれる。虎徹としては最も著名な刀とされる。石灯籠切虎徹という名前は、注文主の旗本に切れ味を証明するため、松の枝を切ろうとしたが勢い余り側にあった石灯籠まで切り込んだ物語に由来する。詳細は異説あるが、以下確認されているいくつかの刀剣書籍を年代順に紹介する。
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刀工および名前の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 05:06 UTC 版)
石灯籠切虎徹という名前は、注文主の旗本に切れ味を証明するため、松の枝を切ろうとしたが勢い余り側にあった石灯籠まで切り込んだ物語に由来する。詳細は異説あるが、以下確認されている二つの書籍を紹介する。
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刀工および名前の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:41 UTC 版)
鎌倉時代の刀工・粟田口則国あるいは国吉の子とされる藤四郎吉光により作られた刀である。藤四郎吉光は、山城国粟田口派の刀工のうち最も著名であり、特に短刀や剣の作刀では名手と知られていた。厚藤四郎は寸法が短く、きわめて小ぶりであるが、地鉄・刃文ともに抜群の出来であると評される。厚藤四郎の名前の由来は、一般的な刀の重ね(刀身の厚さ)が2分(約6.1ミリメートル)程度であるのに対し、本作はそれより厚く仕立てられ、元重ね(刃の最下部、鎺付近)では4分(約11ミリメートル)あることに由来する。
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刀工および名前の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:41 UTC 版)
本阿弥家の鑑定によれば、鎌倉時代の刀工・粟田口則国あるいは国吉の子とされる藤四郎吉光により作られた刀である。藤四郎吉光は、山城国粟田口派の刀工のうち最も著名であり、特に短刀や剣の作刀では名手と知られていた。骨喰藤四郎は藤四郎吉光作の刀としては珍しく薙刀として作られたものであり、短刀・剣を除いた吉光作の刀は、太刀の一期一振や薙刀直しの脇差である鯰尾藤四郎など少数に留まる。 骨喰(ほねばみ)の名の由来には諸説がある。『享保名物帳』第2類では戯れに斬る真似をしただけで相手の骨を砕いてしまったためと説明されている。また徳川将軍家の刀剣台帳の写本は骨を縫い綴ったような痛みを感じるからと記し、また同様に福永酔剣の個人所蔵である『享保名物帳』の享保八年の異本には、これで斬られた場合、骨にしみるように感じるからと記されているという。豊臣秀吉と対面して骨喰藤四郎を見せられたイエズス会士ジョアン・ロドリゲスは『日本教会史』で「軽く振っただけで、根もとから切られた大根のように骨を切るので、骨を丸嚥みにする刀という意である」と述べている。
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刀工および名前の由来
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鎌倉時代初期、山城国の京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。国綱は後鳥羽天皇の御番鍛冶であり、腕の良さから鎌倉にも招かれて鍛刀していたとされている。 「鬼丸」という号の由来は『太平記』に記載がある。それによると、北条時頼(または北条時政)が毎夜、夢の中に現れる小鬼にうなされていた。そんなある夜、夢の中に老翁が現れ、「自分は粟田口国綱の太刀の化身である。ところが汚れた人の手に握られたために錆びてしまい鞘から抜け出せない。早く妖怪を退治したければ清浄な者によって早く自分の錆を拭い去ってくれ」と言って消え去った。早速、時頼は本刀を手入れし、抜き身のまま寝床の側に立てかけておいたところ、本刀が倒れかかり、火鉢の台に施された細工の首を切り落としたという。よく見ると、その火鉢の足は銀で作られた鬼の形をしており、それ以来、時頼の夢に小鬼は現れなくなり、次第に体調を回復させた。この事件により、この太刀を「鬼丸」と命名したといわれている。
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刀工および名前の由来
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「津田遠江長光」の記事における「刀工および名前の由来」の解説
鎌倉時代に備前で活躍した長船派(おさふねは)の刀工・長光により作られた太刀である。長光は長船派の祖として知られる光忠の実子とされており、初期は光忠とよく似た非常に華やかな刃文(はもん)を焼く一方、晩年になると落ち着いた作風へと変貌するなど時期によって作風が異っている。本作は長光の初期作の典型かつ代表作として知られており、同じく初期作の典型として国宝である大般若長光(東京国立博物館収蔵)とは最高傑作の双璧をなすといわれている。古刀期の中でも在銘作が多い刀工とも知られている。なお、長光はすべての刀工の中で国宝・重要文化財に指定されている作品がもっとも多い刀工であり、6口が国宝、33口が重要文化財に指定されている。 津田遠江長光の名前の由来は、かつて明智光秀に仕えた家老の一人である津田遠江守重久が所持していたことによる。元々は織田信長の所有であり安土城にて保管されていたが、本能寺の変によって明智の軍勢が安土城を攻め落とした際に本作が収奪され、津田が褒美として与えられたものとされている。後に山崎の戦いにて主君である光秀が敗れると重久は高野山へ逃れていたが、後に罪を赦され三百石にて豊臣秀吉に仕えた。次いで秀吉の甥であり後継者と目されていた秀次付きとして三千石で召し抱えられ、1594年(文禄3年)には豊臣姓をゆるされて遠江守を受領するに至るが、翌1595年(文禄4年)には秀次が自害したことを受けて再び浪人となる。
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