ボクサー時代までとは? わかりやすく解説

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ボクサー時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:28 UTC 版)

ガッツ石松」の記事における「ボクサー時代まで」の解説

中学生時代学校体育教師夢見ていたが、家庭経済的事情のため進学断念し中学卒業とともに上京様々な職業転々としながらボクシング修行続ける。 最初プロテスト不合格経て1966年12月11日藤原正夫堀口)に1回KO勝ちでプロデビュー当時リングネーム鈴木石松。「石松」の由来は「死んで直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松である。4回戦時代当初勝った負けたりの状態であり、1回KO負け1967年8月9日林桂次(木村)戦)の経験もある。後にヨネクラジム契約していたエディ・タウンゼント教え受けている。 1969年全日本ライト級新人王同期新人王ウェルター級輪島功一がいた。 1970年1月25日世界王座挑戦がほぼ決まっていた、東洋ライト級王者ジャガー柿沢中村)の前哨戦相手選ばれるが、番狂わせ一方的な判定勝ちを収め柿沢に代わって世界挑戦を得る。 1970年6月6日パナマWBAWBC世界ライト級王座挑戦イスマエル・ラグナパナマ)に13TKO負け喫する1971年3月3日日本ライト級王者高山将孝堀口)に挑むが、10引分タイトル奪取ならず。 1972年1月16日、5か月前にKO負けしている門田新一三迫)の東洋ライト級タイトル挑戦今度判定勝ちで王座奪取する試合後「今の目標は、生意気ですが、ブキャナン当時WBA王者)です」と語ったが、3年後には王者としてこのブキャナン挑戦を受けることになる。東洋ライト級王者となった後、池袋白タク利権がらみで弟にからんだトラック運転手15人を相手喧嘩をし、2人KOしたという事件(俗に言う池袋乱闘事件)を起こし現行犯逮捕された(後に正当防衛認められ釈放された)。その時事情聴取ガッツは「チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状書いてある」と供述したその後2日勾留されたが、プロボクサーライセンス剥奪には至らなかった。 1973年9月8日WBA世界ライト級王座挑戦石の拳ロベルト・デュランパナマ)の持つ世界ライト級王座敵地パナマ挑戦し10KO負け試合勝敗以前ガッツの「パナマリング暑くてスタミナ持たない、こりゃ勝てない」という諦め早さ米倉健司会長怒ったという。しかしガッツ全盛期デュランとの戦いで世界チャンピオン確かに強いがこんなものか。技術的にそんなに劣っていない!自分スタミナさえあれば勝てない相手ではない」とボクシング悟りをひらいたと言う当時このように試合で少しでも形勢悪くなる試合放棄に近い行動取り勝て試合落としたり(日本世界王者の中でチャンピオンになる前に10敗以上しているのはガッツのみである)、ランニングが嫌いで「ランニング行って来ると言ってジム出て帰り被ってくる(本人談)」ということがしばしばあったため、ジム側が「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との思い込めてガッツ石松」にリングネーム改める。 1974年4月11日東京日大講堂で、WBC世界ライト級王座挑戦ロドルフォ・ゴンザレスメキシコ)に8回KO勝ちで王座奪取戦績59勝50KO5敗、しかもその前5年間の敗北一階上の名王アントニオ・セルバンテスコロンビア)に喫した1敗のみという王者対しガッツ戦績26勝14KO11敗6分であったため、下馬評ガッツ99%勝てない。と言われる程の圧倒的不利の予想であった。だが、試合始まってみると、ガッツ絶好調で、毎回ほぼ互角打ち合い続いた。8回、ガッツパンチ吸収し動きがやや重くなった王者対しガッツ強烈なフックヒットロープ下がった王者すかさず左右連打しダウン奪った。ややレフェリーカウントロング気味で、何とか立ち上がったゴンザレスから、すかさずガッツ2度目ダウンを奪う。ところが、レフェリーはこれを「スリップ」と判断しなおかつキャンバス倒れた王者助け起こすルール違反犯すセコンド米倉健司エディ・タウンゼントらが激高抗議のためリング上がりかけるほどの事態だったが、ガッツ冷静に大丈夫。倒すから」とセコンド陣を制したのち、その言葉どおりにコーナーゴンザレス乱打して、今度こそキャンバスに完全に沈めた最初ダウン奪ったパンチは、本人曰くワンツーパンチ」だが、左・右繰り出す間隔短く相手には右腕動き見切れないことから、“幻の右”と評された(試合後のインタビューで自ら語っていたという説もある)。トレーナーエディ・タウンゼントも「今日イシマツ新しい力入ったのよ。」と驚いたほどの会心の出来だった。この試合は本来3か月前に行われるはずであったが、ゴンザレスクモ噛まれたために延期になった。後に、ガッツは「この3か月延期によってスタミナ付けることができた。私には運があった。」と述べている。この対戦から32年後に番組企画再会した際、ゴンザレス貧しい家に生まれたこと、ボクシング世界チャンピオンになったこと、そして、引退後俳優になったことなど、あらゆる点で共通していたことを知る。ゴンザレスへの挑戦前は、世界王座獲得後は元の鈴木石松に戻すと語っていたが、実行しなかった。 世界王者獲得したファイトマネー実家ボロ家に住む両親新築一軒家プレゼントしたその頃妻と娘の3人暮らし貧しかったが、ガッツは妻に「世界チャンピオンになった、このファイトマネーは俺にくれ!実家暮らし助けるために俺はボクシング始めたんだ。俺は、これから必ず5回は防衛するから」と告げると妻もそれを容認したこの後約束通り5回の防衛成功する1974年9月12日愛知県体育館でチュリー・ピネダ( メキシコ)を相手初防衛戦風邪をひいて最悪体調のため、苦戦するが、辛くも引き分け初防衛成功した1974年11月28日大阪府立体育会館で、ロドルフォ・ゴンザレスリターンマッチ対戦し12KO勝ちで2度目の防衛成功した1975年2月27日東京体育館で、元WBAWBC王者であり、超一流テクニシャンとしても名高い世界1位の指名挑戦者ケン・ブキャナンイギリス相手防衛戦を行う。この試合まで56勝25KO2敗の戦績を誇るブキャナンは、その5年前ガッツ挑戦退けた直後ラグナから15判定勝ちで王座奪取し3度目の防衛戦で、ややローブロー気味のボディブローロベルト・デュランKO負けし、WBA王座奪われたものの、その後3年間は負けなし(13全勝9KO勝ち)、ガッツ自身始め日本一流どころがいずれも勝てなかった昌吉韓国)にも2回KO勝ちしていた。序盤ガッツブキャナンの左に合わせて威力ある右を再三ヒットブキャナンは左目が腫れてふさがったが、中盤ブキャナン全盛期思わせるスピードガッツ廻り動きながら、左ジャブ再三ヒットしポイントリードした。これに対しガッツ12回、左右風車のように振り回すケンカ殺法」でブキャナンペース乱し13回には右を決めてダウンを奪う(判定スリップだったが、イギリス人ジャッジ、ハリー・ギブスはこの回を10対8でガッツに付けている)など最後3Rはほぼ一方的に打ちまくって3-0判定勝ちで3度目の防衛成功したWBCは、この月の月間MVPガッツ選出した最強挑戦者ブキャナン下したことで、ガッツ評価揺るぎないものになった1975年6月5日大阪近大記念体育館で、前回引き分けているチュリー・ピネダと再戦今回もやや手こずったが、終盤アウトボクシングするなど、ピネダの攻勢をかわし、3-0判定勝ちで4度目の防衛成功した。このあたりから、ライト級体重維持がだんだん苦しくなる1975年12月4日東京日大講堂で、アルバロ・ロハス( コスタリカ)を苦戦の末、10回に右アッパーダウン寸前追い込み14回に右アッパー一撃倒し5度目の防衛成功した1976年5月8日6度目の防衛戦エステバン・デ・ヘススプエルトリコ)に15判定敗れ王座から陥落した。この試合経済的に後進地域だったプエルトリコが、当時としては異例20ドルガッツファイトマネー用意したプエルトリコ英雄ヘススへの期待ガッツ知名度人気の高さも関係していた。 1977年4月2日WBC世界ジュニアウェルター級王座挑戦するが、センサク・ムアンスリンタイ)に6回KO負け2階制覇ならず。この試合ガッツにとって1年ぶりの試合であり、約15kgの減量余儀なくされていた。 1978年、後の日本スーパーウェルター級王者新井容日(大星)に判定負けし、引退した

※この「ボクサー時代まで」の解説は、「ガッツ石松」の解説の一部です。
「ボクサー時代まで」を含む「ガッツ石松」の記事については、「ガッツ石松」の概要を参照ください。

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