門田新一とは? わかりやすく解説

門田新一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 00:01 UTC 版)

門田 新一
基本情報
本名 門田 新一
階級 ライト級
国籍 日本
誕生日 (1949-03-26) 1949年3月26日(75歳)
出身地 愛媛県伊予郡松前町
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 49
勝ち 38
KO勝ち 25
敗け 10
引き分け 1
テンプレートを表示

門田 新一(かどた しんいち、1949年3月26日 - )は、日本男性プロボクサー愛媛県伊予郡松前町出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。現在はファミリーフォーラムボクシングジム会長。1974年、リングネーム門田 恭明にした。

来歴

幼少期に両親と相次いで死別。新田高校ボクシング部在籍中、同郷である三迫仁志のスカウトを受け上京した。

1967年4月30日、竹之内徳美を1RKOで沈めプロデビューを飾る。

12月18日、沢口和広と東日本フェザー級新人王を争うが判定負けでデビュー戦以来の連勝も止まる。

1970年6月6日、元WBC世界ジュニアライト級王者のレネ・バリエントスと対戦するも判定負け。

10月17日、趙永喆が持つOBF東洋ライト級王座に挑戦。3RKOで王座奪取に成功。

1971年8月13日、ノンタイトルで鈴木石松に8RKO勝利を上げるが、1972年1月16日のOBFタイトルマッチでは判定負けを喫し王座陥落。

1973年7月31日、元WBC世界ライト級王者のチャンゴ・カルモナを7RKOで退ける。

1974年、リングネームを「門田 恭明」に改め、10月26日に日本大学講堂で、アントニオ・セルバンテスが持つWBA世界ジュニアウェルター級王座に挑戦するが、8Rでプロ初のKO負けを喫する。

1976年11月19日、シグフリト・ロドリゲスに4RKO負けでこの試合を最後に引退

その後帰郷し、愛拳松山ジムを立ち上げ、現在は再び上京してファミリーフォーラムボクシングジムの会長を務めている。

長男である門田光一は同ジムのトレーナー兼マネージャーを務める。

戦績

  • 49戦38勝(25KO)10敗1分

関連項目

外部リンク

前王者
趙永喆
第18代OBFライト級王者

1970年6月6日 - 1971年8月13日

次王者
鈴木石松




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「門田新一」の関連用語

門田新一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



門田新一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの門田新一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS