橋岡俊平とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 橋岡俊平の意味・解説 

橋岡俊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 00:16 UTC 版)

橋岡 俊平(はしおか しゅんぺい、改姓名・岡本曠三(おかもと こうぞう)、1911年7月7日 - 1978年8月7日)は、日本の元アマチュアボクシング選手。ベルリンオリンピックバンタム級日本代表。法政大学卒業。大阪府大阪市出身。

1936年、全日本選手権にバンタム級で優勝を収めた[1]

同年、ベルリンオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、1回戦にポイント勝ちを収め、2回戦でポイント負けとなった[2]

日本アマチュアボクシング連盟副会長、関西、近畿、大阪府各アマチュアボクシング連盟各会長を務めた。

1978年8月7日、急性肺炎と腎不全のため67歳で死去した。

獲得タイトル

  • 第11回全日本選手権バンタム級優勝

参考文献

  1. ^ 「アマチュア・レコード - 全日本選手権大会」『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6、201頁。
  2. ^ Shunpei Hashioka Biography and Olympic Results | Olympics at Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. (英語) sports-reference.com.

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橋岡俊平」の関連用語

橋岡俊平のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橋岡俊平のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橋岡俊平 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS