ソビエト連邦崩壊後の日露関係
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「日露関係史」の記事における「ソビエト連邦崩壊後の日露関係」の解説
「日露関係」も参照 1991年12月のソビエト連邦の崩壊によってロシア連邦がソビエト連邦の権益・対外条約を引き継ぐとした為、日本もこれを承認した。1993年にロシア連邦大統領ボリス・エリツィンが来日し、日本の細川護熙首相と会談した。エリツィンと橋本龍太郎首相は特に親密になり、相互訪問を行ってロシアの先進国首脳会議メンバー入りを支持し、北方領土問題にも解決の道筋を示したかに見えたが、返還交渉はまとまらなかった。2000年に就任した大統領ウラジーミル・プーチンは対外強硬派であり、首相小泉純一郎とたびたび会談しているが、北方領土問題を有利に解決したい双方の思惑のずれにより、問題解決には至っておらず、1956年の共同宣言以来の目標である平和条約締結の道筋も見出せない。また、日本・ロシア両国は北朝鮮に関する六ヶ国協議の参加国であるが、日本人拉致事件などを理由に北朝鮮に対する強硬姿勢を堅持する日本側と、拉致事件問題では日本側に理解を示しながらも北朝鮮との友好関係維持に腐心して経済支援に前向きなロシア側との立場の違いが表れている。 2006年(平成18年)8月16日、北海道根室市花咲港所属の漁船が歯舞群島の水晶島付近の海域で操業中に国境を侵犯したとしてロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕され、乗組員1人が死亡する事件が発生した(第31吉進丸事件)。 また、同年9月にロシア政府は、樺太沖で三井物産、三菱商事、ロイヤル・ダッチ・シェルが出資・開発する海底油田「サハリン2」に対し、環境保護を理由に事業認可を取り消すとの方針を示した。このプロジェクトには以前より、国内外から環境問題に対する懸念が示されていたことも事実であるが、むしろロシア側が国営天然ガス会社ガスプロムの参加など、ロシア側に有利なように生産分与契約の改善などを求めるのではないかとの懸念が浮上している。実際には、ロシア政府から公式に上記のような要求が出された事実は無いが、もしそのような要求がなされた場合にはサンクトペテルブルクサミットにおける合意に違反するとして、アメリカなどからの懸念も招いている。 日露両国間の平和条約締結交渉は難航しているが、1996年から日本の海上自衛隊とロシア海軍の艦艇相互訪問は1999年の防衛交流覚書の調印につながり、2003年には陸上自衛隊とロシア陸軍との交流も開始された。冷戦の終結により米露関係も改善されたため、ロシア連邦軍による北海道侵攻と、逆に自衛隊やアメリカ軍によるロシア極東部(樺太・千島列島を含む)への攻撃は非現実的な仮想となり、日本政府は自衛隊の主力部隊を北海道から西日本へと展開した。北朝鮮問題では意見が食い違う両国政府も、他の問題では幅広い協力を行っている。温暖化問題で日本政府が推進した京都議定書については、制定から7年後の2004年にロシアが批准に踏み切り、2005年の発効が実現した。一方、ロシア国内で続くチェチェン問題については、日本はサミットの共同宣言などでテロリズムへの対抗を打ち出し、チェチェンの武装ゲリラに対するプーチン政権の強硬策を支持している。 また、ペレストロイカやエリツィン政権で混乱したロシア経済が、原油価格・天然ガス価格の高騰にも助けられてプーチン政権下で急成長を開始し、ロシアが新興経済発展国のBRICsの一員と見なされるようになると、日露間の経済関係も再び拡大に転じた。2006年の日本からの対露輸出は前年比で65パーセント増加、ロシアからの対日輸出は13パーセント増加となった。日本企業のロシア進出は、従来の石油・木材などの資源産業にとどまらず、同市出身のプーチンの意向を受けたともされるトヨタ自動車や日産自動車のサンクトペテルブルクへの工場進出などもある。一方、2007年にロシアの証券会社が日本に支店を開設し、日本の資金はロシアの株式市場へ直接投資できるようになった。また、特にモスクワでは「日本ブーム」と呼べる状況が生まれ、村上春樹・三島由紀夫・吉本ばなななどの作家の作品がロシア語に翻訳されている。 2009年2月18日にサハリンでロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領と日本の総理大臣麻生太郎が会談し領土問題を「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、我々の世代で帰属の問題の最終的な解決につながるよう作業を加速。平和条約交渉に新たな方向性が出てきた。四島の帰属が確定しない限り平和条約は締結しない方針に変更はない。 またソ連崩壊後にウラジオストク入港許可が出たため、シベリア鉄道全線が乗車出来るようになり、日本の鉄道ファンから人気が出ている。 2010年11月、ロシアのメドヴェージェフ大統領は北方領土を訪問し、工場などを視察した。 2015年3月、鳩山友紀夫(元首相)と木村三浩(一水会代表)は日本政府の方針に反してクリミアを訪問した。4月26日、鳩山と木村はTV番組『西部邁ゼミナール』(TOKYO MX)に出演し、訪問の真意について語った。 2022年3月21日、ロシア外務省は、北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を中断すると発表した。同日、北方領土での日本との共同経済活動から撤退し、北方領土への旧島民の墓参などを目的とした日本とのビザなし交流を停止することも発表した。ウクライナ侵攻を理由とした対露制裁への参加が理由とみられる。加えて同年5月4日、ロシア外務省は岸田文雄首相はじめ政府関係者や国会議員・民間人など63人を無期限でロシアへの入国禁止にする措置を決定したと発表した。また、7月15日にも再びウクライナ侵攻制裁への対抗措置として、ロシア外務省は衆議院議員384人ロシア入国禁止を発表した。 2022年6月15日にはロシア艦艇が千葉県沖にまで南下しているのが確認された。
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