シエラネバダ山脈越えの有料道路とは? わかりやすく解説

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シエラネバダ山脈越えの有料道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)

カリフォルニア・トレイル」の記事における「シエラネバダ山脈越えの有料道路」の解説

シエラネバダ山脈越えの有料道路で当初大きな注意を引いたものは1859年にワズホー地区のバージニアシティとコムストック・ロード鉱脈だった。ここは急速に発展し1860年以降どのくらい金や銀の鉱脈があるかが分かり鉱山数千人の鉱夫およびそれを支援する者達に支給する数千トン物資購入する為に百万ドルもの投資要求した当時ネバダにはほとんど何も無かった。さらに精錬所建設されるまでは、高品質鉱石精錬のためにカリフォルニア積み出された。そこの金と銀鉱石は、いくつも鉱山から掘り出されるので、大規模な鉱業操業発展させることを必要とした。銀を取り出すために新し技術、ワズホー・プロセスの開発が必要とされた。しばしば地盤弱かったので、坑道支え新し技術も必要とされ、四角に組んだ木材による支持構造のために大量木材が必要とされた。坑道から毎日百万ガロンもの汲み上げられたので、大型蒸気駆動コーニッシュ・ポンプと重量150ポンド (675 ton) 以上になる長さ3,000フィート (900 m) 以上のポンプ軸がつき、それを回転させるために1日33コード (120 m3) の使われた。さらに鉱山揚重機や精錬機を動かす蒸気エンジンのために大量使われた。冬季暖房のためにもさらに数千コード使われた。これら数千コードはすべて輸送してくる必要があった。金や銀の発見どのような開発輸送コストにも引き合うのだった。この時の20年間で、3億ドル1880年ドル価格)以上の価値がある金と銀掘り出された。1850年から難し地形流れ沿った移民の道改良され有料道路置き換えられた。これらは企業家幾つかの都市建設し出資した。 シエラネバダ山脈越えの有料道路として当初カリフォルニア州ネバダシティからネバダ州バージニアシティに至るヘネス・パス・ルートと、カリフォルニア州プレーサービルからタホ湖およびカーソン山脈経てバージニアシティに至るプレーサービル道路ジョンソン・カットオフあるいはタホ馬車道とも呼ばれた)という2つ主要な道が開発された。ヘネス・パス・ルートはメアリーズビルとネバダシティからの出資25,000ドル部分的に造られた。プレーサービル道路は約100マイル (160 km) の行程幾らか短く1856年建設されサクラメント・バレー鉄道サクラメントから約23マイル (37 km) のフォルソムまで荷物運べるという長所があった。この荷物荷馬車積み替えられプレーサービルまでの良い道路進み、さらにバージニアシティまで運ばれた。1861年から1866年絶頂期、これら道路の改良多額の金が投ぜられ、道路の建設維持にあたる労働者および大体10マイル (16 km) ごとに置かれサービスセンター従業員には給与支払われた。当時標準的賃金労働者御者1日1ドルから2ドルだった。役1日ドル借りられた。小峡谷や車の轍は埋められ排水溝付けられ道路軟らかい部分には砂利敷かれた。荒れた地点平らにされ、丘を回りこむために切り通し造られ流れキャニオンにはけられた。道を作り維持するための道具と言えば鶴嘴ショベル、鍬、斧、手鋸といったものであり、人間大量の汗と共に黒色火薬や一輪車も使われた。使える力は人間、牛あるいは鋤や荷車曳くロバであり、ロバによる土砂運搬車もあった。毎年春に冬季の間の破壊雪解け水による被害のために莫大な修繕費用が必要とされた。 夏の日中は、十頭までのロバに曳かせて東西に向かう重い荷物積んだ荷車で何マイルものあい込み合った。西に向かう車の大半は空だった。離合のために道路あちこち離合点が設けられた。推計では約2,000人の御者が約2,500両の荷車動かし御者によっては2両あるいは3両の荷車を曳かせた)、約12,000頭のロバ使われた。もし各荷車道路の約100フィート (30 m) を占領し、1,000の組があるとした場合少なくとも20マイル (32 km) の道路埋められたことになった。ヘネス・パス・ルートあるいはプレーサービル道路往復およそ200マイル (320 km) で、荷車では約16日掛かった郵便乗客乗せる駅馬車は鈍い(3マイル時間、5 km/h荷車交通避けるために通常夜間走った。プレーサービル道路を走る「パイオニア駅馬車会社」では12両の馬車600頭の馬を擁し1日平均37人の乗客運んだ。馬は10ないし20マイル (16-32 km) ごとに取り替えられ、プレーサービルからバージニアシティまで往復18時間走った強盗馬車破損などの事故がどちらのルートでも偶に起こった1864年駅馬車収入は、当時新聞拠るとプレーサービル道路乗客1人27ドルとして約527,000ドル推計される。ヘネス・パス・ルートの「カリフォルニア駅馬車会社」と「ネバダ駅馬車ライン」は乗客の数が幾分少なかった。両ルート併せ郵便料も含めると、1864年収入100万ドル越えると推計される。バージニアシティまでの荷物配達料は1トンあたり約5セントとして、1862年で約280ドルとなる(セントラル・パシフィック鉄道代理人推計)。これら有料道路から上がる純利益はおそらく10%以上、すなわち約30ドルであり、駅馬車10万ドルだったと見られる。プレーサービル道路とヘネス・パス・ルートには散水車もあり、日中3時間ごとに道を湿らせ、埃や道の破損最小にした。プレーサービル道路には93ホテル駅馬車中継駅宿泊所があり、ヘネス・パス・ルートも同様で、およそ10マイル (16km) ごとにあった。プレーサービル道路冬季運行できるようにされ、一時的な暴風雪のときのみ閉鎖された。 1864年7月、ダッチ・フラット・ドナー湖有料馬車道が後にセントラル・パシフィック鉄道が使うことになるドナー・サミット越えルート使って開通し競合となった。このルート当初トラッキー・トレイル大半使っており、大きな違いといえば大量労働力使って道を真っ直ぐにし、険し坂道主要な障害物抜けるために丘の中腹切り開いたことだった。当初トラッキー・トレイル険しキャニオン降ってベア川尾根に到達するダッチ・フラットの下流では、荷車運行妨げ多く急な尾根切り開いたフラットという名前に拘らず難し地形にあったので、ダッチ・フラット(サクラメントの東約60マイル (100 km))まで鉄道線路末端伸びたのは1866年7月4日のことだった。この有料道路投資20ドル1864年ドル価格)、350人の労働者多くの役投入して10か月造られた。当初鉄道末端当時ニューキャッスルで、サクラメントの東約30マイル (50 km))からドナー・サミット越えネバダ州ベルディ至っており、そこからヘネス・パス道路合流してバージニアシティに至るものだった。このルートは「カリフォルニア駅馬車会社」がプレーサービル道路よりも3時速く所要17時間)、他のルートよりも高度が低くて道幅が広い(20フィート (6 m))と宣伝した。この新し有料道路は、新しい鉄道が建設中であってもその物資を運ぶ必要性賄うことで現金稼げるように開発された。鉄道の建設シエラネバダ越え目指して進むにつれて貨物鉄道末端近く荷車積み替えられ有料道路使って目的地届けられた。鉄道がドナー・サミットを越えて1868年12月トラッキーその先に入ると、バージニアシティやワズホー地区への貨物緩り鉄道振り替わっていった現在の州高速道路80号線はほぼ同じ経路辿っており、北カリフォルニアにおけるシエラネバダ越え幹線となっている。 シエラネバダ越えのほとんど全てのルート改良のために通行料取られた。しかし2つ(後には3つ)の主要有料道路開発された後の他の道路比較使われなくなったサクラメントからバージニアシティまで2,000ポンド (900 kg) の荷物を運ぶ荷車往復料金は約25ドルから30ドルであり、動物が6頭より多いときは通常の1頭1.5ドル追加料金を通る時に追加料金があった。州も連邦政府シエラネバダ越えのための「良い道路援助を出さなかった。幾つかの郡が建設助け運行認めたので、有料道路運営者最小競合良い道路建設して維持できた。通行料不満に思う者もいたが、道路利用者道路の改良維持のために金を払い、この時代納税者概して良い無料道路大きな費用つぎ込むことは好まなかった。 シエラネバダ越えのほとんど全ての荷車運送駅馬車は、1869年セントラル・パシフィック鉄道とバージニア・アンド・トラッキー鉄道開通したときに運行止めた。このときも続いていたコムストック・ロード鉱山や町に向けて大量坑道用木材や数千コード薪材需要唯一大きな例外であり、そのために狭軌鉄道まで造った。まだ鉄道来ていない町では荷車駅馬車が必要とされ使われていた。諸郡によって設立され最初の「ハイウェイ」は1886年に諸郡が買い上げ無料道路にされたプレーサービル道路だった。州政府によって設立され最初の「ハイウェイ」はプレーサービル荷車道であり、1896年買い上げられた後にシエラネバダ越えアメリカ国道50号線になったシエラネバダ越え道路1900年代初期まで次第廃れて行くに任されていたが、自動車時代到来によって良いシエラネバダ越え道路需要復活した

※この「シエラネバダ山脈越えの有料道路」の解説は、「カリフォルニア・トレイル」の解説の一部です。
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