ヘネス・パス道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「ヘネス・パス道路」の解説
ヘネス・パス道路(1850年開通)は、現在のベルディからカリフォルニア州のキャンプトンビルとメアリーズビルまでシエラネバダ山脈を越える80マイル (130 km) の道だった。1850年頃からパトリック・ヘネスによって荷車用有料道路として開発された。ヘネス・パス道路はトラッキー・トレイルよりおよそ15マイル (24 km) 北にあった。この経路はドッグ・バレー(現在のベルディの近く)のトラッキー・トレイルからリトル・トラッキー川を遡り、ウェッバー湖に至って、標高6,920フィート (2,110 m) のヘネス・パスを越え、ユバ川北支流と中支流を分ける尾根にそってキャンプトンビルとメアリーズビルまで達するものだった。荷物は蒸気船でメアリーズビルまで運ばれ、シエラネバダ山脈越えのために積み替えられた。1860年以降、ベルディから南方のネバダ州のカーソンシティやバージニアシティのコムストック・ロードまで延伸された。1860年を初めとして続く9年間ほど大きな改良が加えられてシエラネバダ山脈越えの最も混雑する道路になったが、これはプレーサービル・ルート(ジョンソン・カットオフ)が標高が低くて荷物を運びやすいために荷馬車や駅馬車の御者に好まれたためだった。多くの夏の宿泊所や中継駅が経路沿いのおよそ7ないし10マイル (11-16 km) おきに作られ、牛、馬およびロバで曳く荷車が備えられた。繁忙期には荷車が終日行き交って道路を埋め、一晩に6つかそこらの駅馬車が動いた。この経路は、セントラル・パシフィック鉄道とバージニア・アンド・トラッキー鉄道が1969年に完工し、鉄道で安く容易く荷物を運べるようになったときに、ほとんどの御者から見捨てられた。鉄道が開通した時にバージニアシティの人々は20ないし50%低いコストで荷物を運べたと記録した。今日、ヘネス馬車道は大半が砂利敷きのヘネス・パス道路と呼ばれるアメリカ森林サービスの道路になっており、ベルディとキャンプトンビルを繋いでいる。
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