シエナ周辺領地(コンタード)への帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 18:18 UTC 版)
「アンブロージョ・ロレンツェッティ」の記事における「シエナ周辺領地(コンタード)への帰還」の解説
1335年頃、アンブロージョ・ロレンツェッティはシエナ周辺領地へと戻った。ウグルジェーリ・アッツォリーニは1649年にシエナのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ病院のフレスコ画にアンブロージョ・ロレンツェッティとその兄ピエロの署名と制作年(1335)が記されているのを目撃したと語っている。これらのフレスコ画は今日消失している。ロレンツォ・ギベルティもまた、1336年頃に制作されたとみられるシエナのサン・フランチェスコ教会の開廊と参事会員室を飾っていたピエロとアンブロージョ兄弟のフレスコ画に言及している(今日一部しか残存していない)。シエナで制作されたフレスコ連作に兄ピエロが共同制作していることは、既にシエナで認められていた兄ピエロが介在したお陰で、アンブロージョも委嘱を獲得することができたのだろうと推測される。 アンブロージョは同じ時期に特にシエナのコンタードにおいて独立した画家として活動していたことが判明している。
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