エニアグラムの理論とその思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:56 UTC 版)
「エニアグラム」の記事における「エニアグラムの理論とその思想」の解説
エニアグラム性格論のベースとなるイチャソの人間論・プロトアナリシスは複雑な哲学だが、エニアグラムと関係するところを簡単に述べる。彼の理論は、彼が「神人原型(Divine Human prototype)」と呼ぶ人間のモデルあるいは理想形のようなものに基づいて構築された。神と世界と一体化した状態で生まれた人間は、その本質において、神の現実の完全な反映または現れである。しかし、どこかの時点で個の感覚が生じ、自我(エゴ)が発達することで、神・世界・人間の統一性が分離し始める。イチャソはこのように、人間の本質(本性)と人間の自我または人格(本性からの誤った逸脱)を区別する。自我は、神人原型の歪んだイメージであり、幻影的な信念、感情、欲望などで構成され、神からの分離状態を維持し、人間の苦しみを永続させる。自我が減少または除去されると、人間は神と互いに一体となり、祝福された至高の幸福と充足の状態に回復することができるとされる。(後の教えでは、自我は相対的な心、本質は絶対的な心と同義になった)。苦しみは、絶対的な心が相対的な心から分離されているためで、再び統合されたときに解消される。相対的な心は、装飾的な心とも言われ、絶対的な心の反射または「影」であるとされる。 イチャソのエニアグラム人格論は、自我の現れ方と、自我をその本質に回復させる方法について説明している。エニアグラムは、人間そして万物を構造化する役割を果たすが、万物がこのパターンに従って顕現すると考えるからである(ウスペンスキーが著作で紹介したグルジエフの理論を参考のこと)。ミクロコスモス(小宇宙・人間)はマクロコスモス(大宇宙)に照応するという前提に立てば、エニアグラムが宇宙の構造を示すなら、宇宙に照応する人間の構造も示すと考えられるため、「エニアグラムを解読できれば自分の構造を知り、宇宙における自分の位置を知ることができる」ということになる。 イチャソの思想のベースとして、科学と神秘主義の架け橋となる「統一の論理」とされる、トライアレクティクス(trialectics)と呼ばれる新しい論理学がある。それは、自然を支配する「ロゴス」、さらには、あらゆるものを支配する「ロゴス」を、壮大な形而上学的に捉えることであり、物事のあり方、基本法則や原理、現実を把握する思考法であるという。トライアレクティックスの基本は「トライアド推論」と呼ばれ、2つの相反する原則を統合する第3の仲介原則による二重性の克服である。イチャソは、この考えはかなり古く、世界中の知恵の伝統に見られる可能性があるとしている。グルジエフの3つの法則と同様に、トライアレクティックスは、あらゆる現象を3つの要因の観点から分析できると考える。イチャソはエニアグラムの図を使用して、トライアレクティックスの3つの法則を表している。 変異の法則(The law of mutation):宇宙にはあらかじめ決められた法則があり、ある「マテリアルの発現ポイント」(material manifestation point:MMP)から別のMMPへの変化が一定のパターンの中で起こるという法則である。物質的な現象の発現は、「エネルギーを保持する中立点」、すなわちMMPで起こる。この法則は、エニアグラムの図では、円の円周に沿った9つ点のシーケンスとして表される。 循環の法則(The law of circulation):相反するものが平衡状態にあり、「すべてのものの中には、その見かけとは反対のものの種子がある」という法則である。一見矛盾しているように見えるMMPも、循環のプロセスを通じて相互に関連していると考えられ、変化とは、対立する力の衝突や闘争ではなく、エネルギーの循環による調和のとれたプロセスであるとされる。この法則は、エニアグラムの図では、各ポイントに2つのウィングポイントがあり、それらが作用・反作用となってメインポイントを生み出すことが表されている。 引き寄せの法則(The law of attraction):物事は安定したままではなく、より高い、またはより低いMMPの方へ方向付けられる、引き寄せられるという法則である。安定は一時的なものであり、変化は避けられず、常に改善または悪化の方向に向かう。この法則は、エニアグラムの図では内側の変化線として表される。 イチャソは、非物質的な世界・精神世界を物質世界の上に置き、意識の明瞭化を目指す。身体や意識を様々に分類、定義するが、それぞれが「絶対的な心」あるいは「無限の意識」として理解される「唯一であり最上位の現実である神」の一面であるとみなす。身体は意識の表現であり、実はすべてが意識であると考える。 意識こそが第一の現実であるというその教えは、形而上学的には観念論の一種であり、ホープ大学哲学教授アンドリュー・J・デッロリオは、この点で仏教の瑜伽行唯識派(ヨーガチャーラ)に最も似ていると述べている。イチャソは、主観的あるいは相対的な心(性格・人格)が現実という虚像を構築すると考え、それを停止し、心の奥に不動の、不変の、揺るぎない絶対的な心があることに気づくための方法に着目する。また、プロティノスの新プラトン主義と強い類似性を持ち、万物の究極的な統一を「一者」、現実を「心」と「理想形」の継承や現れと表現する。その理想主義的な一元論は、「神は永遠であり、私たちすべての中にあり、全てのものの中にあり、二もなく一である。」というクレド(信仰宣言)に見られるように、有神論的である。 純粋な意識は物質的な現実に先行する第一の現実であり、人間においては9つの構成要素として現れる。人間を構成する9つの要素とは、物質性(materiality)または要素(elements)、システム(systems)、精神活動(mentations)、感覚意識(senses consciousness)、精神的知覚(mental perceptions)、意識領域(domains)、感情(feelings)または差別的な心(discriminative mind)、意欲的な意思(willing intention)、アクセスの基盤(access base)である。アンドリュー・J・デッロリオは、この9つの構成要素と、5つの要素が因縁によって仮に集合し「自我」を構成するという仏教の概念「五蘊」との類似を指摘している。 イチャソは、自我を理解する上で基本となるのは、性、骨格、消化器、保護、循環、発現、調整、中枢神経系、統一系の9つの生理的システムを認識することであるとし、これらのシステムは順次チャクラのようなエネルギーセンターを生じると考える。これは、彼が「超知覚システム」と呼ぶものを構成する本能、機能、衝動として精神に反映される。性の極、空間機能、保存本能(「自己保存」、「親密」、「1対1」とも)、時間機能、関係本能(「性的」とも)、表現機能、調整機能、適応本能(「社会的」とも)、精神の極である。これらのシステムの中で最も重要なのは、3つの本能であり、それぞれの本能は、生き残るための基本的な「生きた問いかけ」を生得的に行う。「私はどうなのだろう?(“How am I ?)」(保存本能)、「私は誰といるのだろう?(With Whom am I ?)」(関係本能)、そして「私はどこにいるのだろう?(Where am I ?)」(適応本能)である。パーマーは、人は本能レベルで、自分を守りたい(自己保存)、大切な人やパートナーとつながりたい(性的)、集団の中で仲良くしたい、成功したい(社会的)といった欲求を内的に強く感じたり、外に表すことがあるとしている。 ナランホは、人間は意識によって統合された3つの内なるセンター(中心)を持つ存在で、それは頭(思考センター)、心(感情センター)、腹(本能センター)であり、それぞれの中心はそれぞれの目的を持っていると考えた。この3つのセンターのバランスを整え、それらが調和して働くことで、自分自身の中に平和を感じられるようになるという。彼の苦しみに関する理論では、人が苦しむのは、自分の内なる存在とつながっていないためである。本能センターの中に、イチャソの説く3つの本能が含まれる。 それぞれの本能は、経験的、類推的、分析的な理性を生み、過去の傷にしがみつく歴史的自我、自分をどう見せ、どう評価されるかを気にするイメージ自我、社会の中で自分の道を切り開こうとする実践的自我という3つの自我を生み出す。プラトンの魂の三分説のように、これらの自我は、内的バランスが実現するまで互いに争い、その結果、自然自我あるいはペルソナが生まれる。自然自我やペルソナは、自己観察を可能とする「観察者」として働き、自己実現や自己超越へと至ることを可能にする。自己観察のための有用なツールの1つが、9つのタイプの「自己の固着」に関するエニアグラムの理論である。
※この「エニアグラムの理論とその思想」の解説は、「エニアグラム」の解説の一部です。
「エニアグラムの理論とその思想」を含む「エニアグラム」の記事については、「エニアグラム」の概要を参照ください。
- エニアグラムの理論とその思想のページへのリンク