エナーメの栄光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 07:23 UTC 版)
いまのアウデナールデ市の歴史は、東フランク王にしてローマ皇帝のオットー2世がスヘルデ川河畔のエナーメに砦を築いたことに端を発する。フランク王国の侵略にそなえた同様の防御施設は、ヴァランシエンヌとアントワープにも置かれた。エナーメはたちまち発展し、1005年までに二軒の教会堂をそなえたロタリンギア最大の町になった。一方で1033年、時のフランドル伯ボードゥアン4世が皇帝ハインリヒ3世に対する前線として市街を占領。1047年には子のボードゥアン5世がベネディクト会の修道院を建立し、支配を強化した。かつての大商人やギルドの職人連はスヘルデ川対岸にのがれ、ここに新しいアウデナールデ市が生まれた。
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