たきょく‐か〔‐クワ〕【多極化】
多極化
多極体制
多極体制(たきょくたいせい、英: Multipolar System)、もしくは多極化(たきょくか、英: Multipolarization)とは、複数の国家もしくはグループ[注 1]が世界に影響を与えている国際社会を指す[1]。
歴史
第二次世界大戦以前
多極体制の起源は19世紀末期から20世紀初期の帝国主義・植民地主義時代に求めることができる。当時は数多く列強がしのぎを削り、それぞれの国で複雑な対立・同盟関係を形成していた。しかし、第一次世界大戦で帝国主義国家・植民地主義国家の衰退が始まり、第二次世界大戦で帝国主義・植民地主義時代は終結した。
1945年に第二次世界大戦が終わると、世界は資本主義を名目とするアメリカ合衆国と、社会主義を名目とするソビエト連邦の2か国が覇権を握る両極体制へと移行した。両極体制において、小国は2つの超大国のいずれかから援助を受ける外交を展開していた。しかし、1991年にソビエト連邦は崩壊。これ以後2000年代にかけて、唯一の超大国であるアメリカ合衆国による一極体制が続くことになる。
9.11テロと一極体制の衰退
ソビエト連邦が崩壊し、1992年からはアメリカ合衆国の一極体制(パクス・アメリカーナ)の時代が始まった。しかし、2001年9月11日に起こったイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロ事件を引き金として、アメリカの一極体制に陰りが見え始める。2000年代後半に入るとロシア連邦、中華人民共和国、イランなど、アメリカによる一極体制を否定する大国が現れ始める。ロシアは「冷戦の敗戦国」であったが、豊富な天然資源で景気が好転し、特に9.11テロ以後は冷戦時代の復活を夢見て21世紀の世界における新たな極になろうとしており、「アメリカ合衆国による一極支配は受け入れられない」「世界は多極的であるべきだ」とアメリカを批判している。
リーマンショックと無極化
アメリカ合衆国も一極体制が原因で2007年から2010年にかけて世界同時不況を惹き起こしており、ロシアや中国、イランを初めとする反米国家から大きな批判を浴びている。そして、世界同時不況を象徴する2008年9月15日のリーマン・クライシス、列びに同年11月14日の第1回G20首脳会議によって、アメリカの一極体制の時代は終わることになった。2008年以後の多極体制の象徴とされたG20を嚆矢にして、アメリカ合衆国と共にEU・中国・インド・ラテンアメリカ諸国・ロシア・中東諸国などが世界経済を牽引してゆく状況になっている。
アメリカ合衆国は「世界の警察」として、強大な発言力と軍事力を誇っていた。しかし中国やロシア、イランの国力増大や、ラテンアメリカの「脱アメリカ」志向は、アメリカの一極体制を脅かしつつある。2014年3月18日、ロシアが軍事力を背景にクリミアの編入[注 2]を強行した事について、専門家からはアメリカ合衆国の力が弱まり、世界の多極化が進んでいることが指摘されている。ただ、2014年時点の世界は「多極体制」ではなく、「無極体制」であるとする向きもあり、地球上からどこにも絶対的な力を持つ国家(ヘゲモニー)が無くなっていることで世界の流動化、不安定化、いわばカオス化が進んでいるという見方もあった。
BRICSおよびGSと多極化
BRICSと呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカで構成する5か国は、多極化する世界でリーダーシップの発揮を目指すとし、欧米の大国(G7)に対抗する姿勢を示している[2]。2024年1月にはエジプト、エチオピア、イラン、アラブ首長国連邦の4か国が正式に加盟国となり、BRICSは9か国体制となった。これにより習近平国家主席が狙う「アメリカ一極体制から多極化へ」の地殻変動が、実現に向けて深まりを見せている[3]。
2022年ロシアのウクライナ侵攻以後、多極化する世界で影響力を強めてグローバルサウスなどの第3国を陣営に取り込もうとするせめぎ合いが、欧米日(G7)と中露(BRICS)間で激しさを増しており、競合する複数の陣営から成る『多極化した世界』が訪れようとしている[4]。
脚注
注釈
- ^ 例えばG7やBRICSなど。
- ^ 詳細は「ロシアによるクリミアの併合」を参照。
出典
- ^ “人口や経済も拡大 「多極化」の時代、カギを握る国々”. 朝日新聞 (2023年9月14日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “BRICS、多極化世界で主導力発揮し大国に対抗 外相会議開幕”. ロイター (2023年6月2日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “習近平が狙う「米一極から多極化へ」の実現に一歩近づいたBRICS加盟国拡大”. Yahoo!ニュース (2023年8月26日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “多極化した世界で陣営拡大競い合う-G7広島サミット、成果出せるか”. Bloomberg (2023年5月17日). 2024年7月26日閲覧。
関連項目
多極化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:32 UTC 版)
金融市場ランキング 順位 都市 1 ニューヨーク 2 ロンドン 3 香港 4 上海 5 ロサンゼルス 6 シンガポール 7 サンフランシスコ 8 北京 9 東京 10 深圳 国際金融センター指数(2022年3月発表) 1950年代より、アメリカ合衆国の国際収支は継続的に赤字になり、世界に過剰なドルをまき散らすことになった。この過剰なドルによって、アメリカには世界中のモノ・サービスが集まり、アメリカは空前の「インフレの悲哀」を味わうことになった。また、アメリカがベトナム戦争に軍事介入したことによって、アメリカの戦費が増大し、アメリカの財政赤字はますます悪化していった。このままいくと、アメリカのドルの防衛が難しくなる。ドルの防衛が出来なければ、金の国外流出はさらに続いていく。これは、超大国アメリカの危機である。 1971年8月、ついにアメリカは、金とアメリカ・ドルとの交換停止を突然、世界に向けて発表した(詳細は「ニクソン・ショック」を参照)。そして、アメリカ・ドルは固定為替相場制から変動為替相場制へと変更され、これ以後のアメリカ・ドルの為替レートは市場の需給によって決まるようになった。 アメリカのこの電撃発表は世界の国際金融市場に大きな衝撃を与えた。欧州の市場であるフランクフルト・チューリヒ・パリ・アムステルダムでは、新しい形の国際金融取引が行われるようになった。その国際金融取引にはドイツ銀行・BNPパリバ・ABNアムロなどが参加し、「ユーロダラー市場」が誕生した。 またアメリカの対外投融資規制や多国籍企業の活動とあいまって「ユーロ債市場」も出現した。通信・情報処理用インフラのグローバル化により、国際金融市場は国境の制約を超えたものとなったのである。 ビッグバンではイギリスのロンドンが「ユーロダラー市場」の中心地となった。パリやフランクフルトにも活発な「ユーロカレンシー市場」が誕生した。 ドル金融をロンドンに奪われそうになっていたアメリカは、非居住者間の金融取引に租税や為替管理上の特典を与えている「オフショア市場」として、1981年ニューヨークに国際金融ファシリティを設立した。「オフショア金融センター」については、まずタックス・ヘイヴンとしてバハマ・ケイマン諸島・パナマ・バーレーンなどが、また「アジアダラー市場」としてシンガポール・香港が、それぞれ急速に発展してきた。1986年12月、「東京オフショア市場」も創設された。 21世紀初頭の市場で大きなウェイトを占めた金融派生商品については、1972年にシカゴ商業取引所で通貨先物取引が開始され、1975年にはシカゴ商品取引所で初めて金利先物が上場された。 その後1982年にシカゴ商業取引所で株価指数先物・株価指数先物オプション、シカゴ商品取引所で債券先物オプションが導入された。店頭取引として通貨スワップや金利先渡取引が行われた。こうした「デリバティブ取引」は、1982年イギリスのロンドン国際金融先物取引所、1984年シンガポールのシンガポール国際金融取引所、1989年日本の東京金融先物取引所(現:東京金融取引所)、1985年日本の東京証券取引所をはじめ、世界各地の取引所で誕生した。このような1980年代から世界全体の経常収支が100億ドル単位で赤字を計上するようになった。 1990年代に入ると、これらの取引所では電子端末入力による付合せ方式で価格が決定され、その後、コンピューター・システムが各取引所に本格的に導入されるようになった。また、インターネットをはじめとしたIT技術の発展は、各取引所の処理能力を大幅に増やし、世界中の多くの情報やニュース記事が瞬時に取引所の価格に反映されるようになった。また、ネット証券の誕生により、市場の垣根が低くなり、市場に参加する個人投資家たちもますます増えていった。従来、世界の金融市場で大きな影響を持っていたヘッジファンドも、複雑な価格変動の動きを読みにくくなり、大きな損失を出すところも出てきた。ロングターム・キャピタル・マネジメントの破綻は、その好例である。 21世紀初頭、新自由主義の席巻と海底ケーブルの充実を背景に国際金融市場の多極化はますます加速した。世界金融危機の陰で仮想通貨のビットコインが新たに登場し、マウントゴックスのデフォルトを機にさまざまな欠陥を指摘された。しかしブロックチェーンだけは宣伝と開発が推進されている。ブロックチェーンを利用したスマートコントラクトは、国際金融市場という金融インフラそのものを、スマートフォンやモノのインターネットのレベルにまで分解・多極化させようとしている。
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