高橋至時 至時と西洋天文学

高橋至時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 06:49 UTC 版)

至時と西洋天文学

地動説

至時は著作『増修消長法』や『新修五星法及図説』において、西洋では天の中心は地球ではなく太陽であるという説があると述べ、地動説を取り上げた。そして、地球は地軸を傾けて自転し、その上で太陽の周りを1年かけて公転していることも記述しており、このことから至時は地動説の基本的な概念は理解していたと考えられる[51]

至時は、地動説だと天体の運動がシンプルに記述できると評価した[52]。さらに、天動説にのっとって書かれた当時の中国の暦書『崇禎暦書』では、夜空に見える恒星は歳差運動をしていると書かれていたが、至時はこれに疑問を抱き、地球のほうが動いていると考えれば、全天数万の恒星すべてをわざわざ動かす必要はなくなると記した[52]

しかし至時は結局、地動説を自らの惑星運動論に取り入れることはしなかった[53]。『新修五星法及図説』では、地球は不動で太陽や他の惑星が地球の周りを公転するという、プトレマイオス天動説にもとづいた上で、地球以外の惑星については、さらに太陽の公転半径軌道と同じ大きさの周転円をもうけるという、独自の理論によって惑星の運動を説明した[54]。また、その『新修五星法及図説』の第二稿では、惑星の運動はティコ・ブラーエの理論(地球を中心に太陽が公転し、その太陽の周りを地球以外の惑星が公転する)を採用している[55]。至時が地動説を採用しなかった理由について、『新修五星法及図説』では、地動説を採用すると人の疑怪を招くからだと説明されている[55]

緯度 1度距離(マイル)
0度 60.00
10度 59.50
20度 59.57
30度 59.67
40度 59.80
50度 59.93
60度 60.06
70度 60.16
80度 60.235
90度 60.26

地球の形状

至時はボイス(Egbert Buys)が書いた『ウヲールデンブツク』(Nieuw en Volkomen Woordenboek van Konsten en Weetenschappen)、およびラランドの『ラランデ暦書』を読み、地球が完全な球体ではなく南北方向につぶれた扁球形であることを知った。どちらの書を先に読んだかは定かではないが、ボイスの書が先ではないかと推定されている[56][57]

『ウヲールデンブツク』には右表のような、各々の緯度における、緯度1度にあたる距離の違いが掲げられており、これは至時の著書『ラランデ暦書管見』にも引用されている。至時はこの表を見て、緯度1度の距離が場所によって異なることを知り、このことから地球が完全な球形でないことに気付いたものと考えられている[58]。そして後に『ラランデ暦書』を読むことによって、正確にそのことを認識したと思われる[58]。至時は『ラランデ暦書管見』において、「地球ハ真円ニアラズシテハ、橢円ノ形ナリ。其形チ東西長ク南北短シ[59]」と記した。地球が完全な球形でないことを認識し記述したのは、日本では至時が初めてといわれている[57]

また、『ウヲールデンブツク』では右表のように、赤道直下の値を60マイルとしているが、これに対して至時は、「六十里[注釈 4]トナシタルハ、恐ラクハ誤リナラン。理ヲ以テコレヲ論ズレバ、両極下ハ大ニシテ、赤道下ハ至小也[60]」と指摘した。至時の指摘は正しく、実際に『ウヲールデンブツク』の60マイルという数値は誤りである[61]。至時は自らの手で計算し、赤道直下の緯度1度は59.479にあたると記述した(実際の数値は59.49)[61]

経緯度

至時は、里差(経度差)の問題に関心を持っていた。『暦象考成後編』などの暦書は北京の経度緯度を基準にして作られているため、これをそのまま使用すると日本での観測値とずれが生じてしまう。そのため北京から京都ないしは江戸までの距離を求めて修正を行わなければならないが、当時はこの距離が正確に分かっていなかった[48]

距離を求めるには両地点での経度・緯度をもとにして計算を行う必要がある。しかし緯度1度の子午線弧長の値も当時は明らかでなかった[62]。そこで伊能忠敬は測量を通じて緯度1度の距離を求め、28.2里という結果を得た。

しかし至時は、土地には高低差があるため、測量では正確な値は決まらないと考え、忠敬の測定値に信頼を置かなかった[63]。また忠敬の測量では、他の測定箇所では28.2里前後であったのに対し、江戸から宇都宮の区間までの測定値は27.5里であった。忠敬は、この区間は測量器具による誤差の影響があったためだと考えた。しかし至時は、江戸から宇都宮まではほぼ平坦な土地であるから、こちらの測定値のほうが実際の値に近いのではないかと疑問をもった[64]

後年、至時は『ラランデ暦書』にて、緯度1度は25リーグで、1リーグは2283トワーズであるという記述を見た。至時はさらに同書に載っていたpied、stadie、schreedeといった単位を利用して換算を行い、1トワーズは日本でいう642にあたると計算した[65]

すなわち、

1リーグ = 2283×6.42尺 = 14656.86尺

これを元に緯度の算出を行うと、

緯度1度 = 25リーグ = 14656.86 × 25尺 = 366421.5尺

1里は36で、1町が60、1間が6尺なので、

1里 = 36 × 60 × 6尺 =12960尺

したがって、

緯度1度 = 366421.5 ÷ 12960里 = 28.273…里

となる。こうして至時は、忠敬の測量値が『ラランデ暦書』の値とほぼ一致することを確かめた[66]

惑星の軌道半径

軌道長半径(地球の軌道半径を1とした時の値[注釈 5][67]
  至時の計算値 至時の再計算値 当時の西洋書の値 【参考】現代の値
土星 9.53299 9.5379585 9.53800 9.540912
木星 5.19957 5.20109295 5.20110 5.202513
火星 1.523656 1.5236888 1.52369 1.523691
金星 0.7233393 0.7233324 0.72333 0.723322
水星 0.3871062 0.3870992 0.38710 0.387099

至時は著書『新修五星法及図説』において、自らが行った観測結果から、惑星の公転周期を計算した。そして、公転周期の2乗と軌道半径の3乗の比が一定になるという法則、つまりいわゆるケプラーの第3法則を利用して、惑星の軌道半径を計算した(至時はこの法則を剛立から学んでいる)[68]

この値を西洋の書物である『アールドゴローツ』(ヨハン・リリウス著)および『ナチュルキュンテ』(ベンヤミン・マルチン著)に載っている値と比較すると、わずかなずれが見られた。至時は、このずれは1年という単位が違うためではないかと考えた。つまり、至時は1年を、太陽が地球の周りを公転する周期(太陽年)で計算したが、西洋書は、地球から見た恒星が同じ位置に来るまでの時間(恒星年)を1年として計算していると判断したのである[68]。そして実際に、恒星年を元に再び計算を行うと、西洋の書物の値とほぼ一致し、剛立や至時自らの理論の正しいことが確かめられた[68][69]


注釈

  1. ^ ただし渡辺敏夫は、至時が松岡に学んだというのは疑わしいとしている(渡辺(1986) p.209)。
  2. ^ 改暦について、幕府ははじめ麻田剛立を起用しようとしたが、剛立が高齢を理由に断り、代わりに至時と重富を推薦したといわれることが多い。しかし上原久は、当時幕府からの命令を断ることは死罪も免れ得ないことであるため通常はありえず、剛立が2人を推薦したという記録も見られないため、至時らは幕府から直接命を受けたと主張した(上原(1977) pp.138-140)。そして現在では後者の説も他の研究家などに受け入れられている(中村(2008) p.93)。
  3. ^ オランダ語の語学力については、文字と少しの名詞を知っているのみと言われているが、天文の専門用語はある程度理解していたのではないかという反論もある(上原(1977) pp.207-210)。
  4. ^ 至時はマイルを「里」と訳している。
  5. ^ ただし至時は天動説に基づき、太陽の公転軌道の半径を基準としている。

参照元

  1. ^ a b 嘉数(2016) p.105
  2. ^ 吉田(2005) p.291
  3. ^ 上原(1977) p.129
  4. ^ 日本学士院日本科学史刊行会編(1979) p.129
  5. ^ 大谷(1917) pp.670-671
  6. ^ a b 中村(2008) p.89
  7. ^ a b 吉田(2005) p.292
  8. ^ 上原(1977) p.218
  9. ^ 上原(1977) pp.215-217
  10. ^ 前山(1960) p.39
  11. ^ a b c 吉田(2005) p.293
  12. ^ 中村(2008) p.94
  13. ^ 上原(1977) pp.140-141
  14. ^ 大谷(1917) pp.673-674
  15. ^ 上原(1977) pp.142-143
  16. ^ 渡辺(2003) p.57
  17. ^ 渡辺(2003) p.80
  18. ^ 星埜(2010) p.27
  19. ^ 渡辺(2003) pp.83-84,115
  20. ^ 星埜(2010) p.37
  21. ^ a b 上原(1977) p.211
  22. ^ a b 吉田(2005) p.298
  23. ^ 上原(1977) pp.211-212
  24. ^ 嘉数(2016) p.117
  25. ^ 中村(2008) p.95
  26. ^ a b c 上原(1977) p.213
  27. ^ 嘉数(2016) p.118
  28. ^ 『地球楕円赤道日食法』における記述。吉田(2005) p.298より孫引き。
  29. ^ 渡辺(1986) p.231
  30. ^ 嘉数(2016) p.121
  31. ^ a b c 嘉数(2005) p.315
  32. ^ 星埜(2010) p.49
  33. ^ 星埜(2010) p.15
  34. ^ 渡辺(1986) p.404
  35. ^ 渡辺(1986) p.287
  36. ^ 渡辺(2003) pp.116-117
  37. ^ 洋学史事典(1984) p.429
  38. ^ 大谷(1917) pp.694-695
  39. ^ 上原(1977) p.153
  40. ^ a b 中村(2008) p.100
  41. ^ 高橋至時『ラランデ暦書管見』と光行差
  42. ^ 中山(1972) p.476
  43. ^ 日本思想大系65(1972) pp.168-169
  44. ^ 吉田(2005) p.296
  45. ^ 吉田(2005) p.292
  46. ^ 著書『授時暦日食法論解』の記述。大谷(1917) p.680より孫引き。
  47. ^ 中山(2005) pp.381-382
  48. ^ a b 前山(1960) p.40
  49. ^ 中山(2005) p.383
  50. ^ 中山(1981) p.70
  51. ^ 嘉数(2011) pp.138-139
  52. ^ a b 嘉数(2011) p.139
  53. ^ 上原(1977) pp.205-206
  54. ^ 嘉数(2011) pp.139,141
  55. ^ a b 嘉数(2011) p.141
  56. ^ 上原(1977) p.153
  57. ^ a b 日本思想大系65(1972) p.169
  58. ^ a b 日本思想大系65(1972) p.171
  59. ^ 日本思想大系65(1972) p.168
  60. ^ 日本思想大系65(1972) p.170
  61. ^ a b 上原(1977) p.155
  62. ^ 大谷(1917) pp.675-767
  63. ^ 上原(1977) p.148
  64. ^ 渡辺(2003) p.200
  65. ^ 上原(1977) pp.156-159
  66. ^ 上原(1977) p.161
  67. ^ 上原(1977) pp.203-205
  68. ^ a b c 嘉数(2011) p.140
  69. ^ 上原(1977) p.205


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