大阪国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:45 UTC 版)
「プリンセス・トヨトミ」の記事における「大阪国」の解説
大坂夏の陣による豊臣家の滅亡後、徳川家は豊臣秀吉が築いた大坂城を全て破却し、大坂から豊臣家の痕跡を消し去ろうとした(大坂城#徳川氏大坂城を参照)。そうした徳川家のやり方に不満を抱いた大坂の町人が、秘密裏にあるものを守るために大坂城の地下に寄合場を造ったのが大阪国の始まりである。その後、明治維新時に太政官政府と条約を交わし、国が正式に大阪国の存在を承認し、大阪国の運営資金を国家予算に組み込む(肩代わりする)ことになった。このとき以外、外部には一切その存在を現しておらず、関係者以外に存在を公にされた時が大阪国の終わりとされる。国が「訪問(視察)」の意思を伝えた場には誠実に対応しなければならない。あるものが危機にさらされた時、大阪国の人間は決められた「合図」に従って「立ち上がる」。大阪府民全てが大阪国の人間というわけではなく、大阪国の人間として認められるには条件がある。
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