大阪商船会社
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1884年(明治17年)5月、広瀬宰平他数名は、多数の船主をして合同させ、一大船会社・船舶93隻、資本金120万円の大阪商船会社を設立した。約1年おくれて、1885年(明治18年)10月には三菱会社と共同運輸会社とが同併して、日本郵船会社が設立した。田中は、1894年(明治27年)に監査役となって、1895年(明治28年)に社長となった。社長としての期間は短かったが、非常な業績をあげた。1898年(明治31年)逓信省の鉄道局長をしていた中橋徳五郎(娘婿)を後継者に選び、大阪商船の基礎をつくった。1964年(昭和39年)4月 三井物産から分離された三井船舶と大阪商船と合併し、大阪商船三井船舶株式会社となった。 その後、1999年(平成11年)4月 に大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併し、商船三井となった。これらの名残は今も船舶の「MOL」の文字に残る。
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