財界有力者としての活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:29 UTC 版)
「田中市兵衛」の記事における「財界有力者としての活躍」の解説
1885年(明治18年)には松本重太郎らとともに、阪堺鉄道をおこし、山陽、九州、豊前、阪鶴、京都、南海(南海電気鉄道)、阪神(阪神電気鉄道)の各鉄道会社の創立に参画した。また日本生命、日本火災、大阪倉庫、浪花紡績、摂津紡績、日本綿花(双日株式会社)、日本紡績(ユニチカ株式会社)、汽車製造(川崎重工業株式会社)の各社にも関係したが、それらはさきにのべた第四十二国立銀行を足場とし、また別に経営していた大阪商船会社を基盤としていた。この2つの事業の成功によって田中は関西の事業界を圧倒した。他にも五代友厚と共に、大阪株式取引所(後の大阪証券取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、大阪製銅、関西貿易社、共同運輸会社、神戸桟橋、などを設立した。明治31年(1898年)時点で役員として関わっていた企業は20社を数え、29社の渋沢栄一、26社の松本重太郎、21社の山中利右衛門に次ぐ多さだった。
※この「財界有力者としての活躍」の解説は、「田中市兵衛」の解説の一部です。
「財界有力者としての活躍」を含む「田中市兵衛」の記事については、「田中市兵衛」の概要を参照ください。
- 財界有力者としての活躍のページへのリンク