第四十二国立銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:29 UTC 版)
田中の商業上の熱意は単に家業を守ることだけにとどまらず、1877年(明治10年)には早くも金沢仁兵衛とともに、第四十二国立銀行を江戸堀三丁目に設立して、その頭取となり、その頭角をあらわしはじめた。第四十二国立銀行は西区江戸堀三丁目において、1878年(明治11年)10月18日に開業した。資本金は20万円であった。この銀行は1898年(明治31年)10月に満期となった。田中はこの銀行を根拠として発展する。後に、北浜銀行に継承され、摂陽銀行に改称された後、大正15年三十四銀行と合併、三和銀行を経て、三菱東京UFJ銀行に受け継がれた。三菱UFJフィナンシャル・グループ・みどり会に属する双日、ユニチカ、南海電気鉄道や 他、日本生命保険、日本興亜損害保険、阪神電気鉄道、三井倉庫ホールディングス、商船三井、東洋紡、関西電力 何れも第四十二国立銀行が手掛けた事業、関わった事業である。 また田中は 日本銀行創業期に、政治家として、また株主として大きく貢献した。
※この「第四十二国立銀行」の解説は、「田中市兵衛」の解説の一部です。
「第四十二国立銀行」を含む「田中市兵衛」の記事については、「田中市兵衛」の概要を参照ください。
- 第四十二国立銀行のページへのリンク