大阪商人の思惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:48 UTC 版)
明治政府は通商司の管理下で通商・為替会社を置き、全国的商品流通機構の再編を目指していた。これらの通商・為替会社は中央銀行以下近代的な銀行が整備された将来には役割を終えるものと考えられていたが、明治初頭の時期では大阪商人たちが再編の波に乗る機会でもあった。通商・為替会社の傘下の機能を持つ三陸商社や三越商社、先収会社などの商社が設立されたのもこの時期である。 農民からの年貢米を換金し流通させる貢米買受業務とそれから派生する公金取り扱い業務(為替方)は三井組・小野組・島田組などが扱っていた。貢米買受業務および無利子で巨額の公金を扱う為替方のメリットは大きかったが、その業務に参加するには巨額の資本と米穀流通や為替に関する知識も必要であった。鴻池などの大阪商人たちもこれらの業務に携われるだけの条件を備えており、大阪商人たちは共同で会社を作りそれによって貢米買受業務や為替方業務を担うことを期待していた。 鴻池らの大阪商人たちは江戸時代、大名家に多額の貸し付けをしていたが、明治維新によって幕藩体制が崩れても各大名家への膨大な貸し付け(旧藩債)は残っていた。大阪商人たちはその旧大名たちの債務を新政府が引き受けることを期待し、明治元年-2年大阪府知事を務め接触のあった後藤象二郎にそれを頼み、代わりに旧大名たちの債務を引き受けた新政府が払った資金を後藤の設立する会社に出資することを約束した。
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