走れメロス 走れメロスの概要

走れメロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 19:00 UTC 版)

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概要

初出 新潮』1940年5月号
単行本 女の決闘』(河出書房、1940年6月15日)
執筆時期 1940年3月23、24日までに完成(推定)[1]
原稿用紙 26枚

地中海・中東文学の長い系譜の末端に連なる作品である[2]

あらすじ

純朴な羊飼い[注 1]の青年メロス(Moerus[4])は、16歳になる妹の結婚のために[注 2]必要な品々を買い求めにシラクス[注 3]の町を訪れたが、町の様子がひどく暗く落ち込んでいることを不審に思い、市民に何が起きているのかを問う。そしてその原因である、人間不信のために多くの人を処刑している暴君ディオニス王の話を聞き、激怒する。メロスは王の暗殺を決意して王城に侵入するが、あえなく衛兵に捕らえられ、王のもとに引き出される。人間など私欲の塊だ、信じられぬ、と断言する王にメロスは、人を疑うのは恥ずべきだと真っ向から反論する。当然処刑されることになるが、メロスはシラクスで石工をしている竹馬の友で親友のセリヌンティウスを人質として王のもとにとどめおくのを条件に、妹の結婚式をとり行なうため3日後の日没までの猶予を願う。王はメロスを信じず、死ぬために再び戻って来るはずはないと考えるが、セリヌンティウスを処刑して人を信じることの馬鹿らしさを証明してやる、との思惑でそれを許した。王城に召されたセリヌンティウスはメロスの願いを快諾し、縄を打たれる。

メロスは急いで村に帰り、誰にも真実を言わず妹の結婚式を急ぎ、夫を信じて誠心誠意尽くすように言い含め、式を無事に終えると3日目の朝まだき、王宮に向けて走り出す。難なく夕刻までに到着するつもりが、川の氾濫による橋の流失や山賊の襲来[注 4]など度重なる不運に出遭う。濁流の川を懸命に泳ぎ切り、山賊を打ち倒して必死に駆けるが、無理を重ねたメロスはそのために心身ともに疲労困憊して倒れ込み、一度は王のもとに戻ることをあきらめかける。セリヌンティウスを裏切って逃げてやろうかとも思う。しかし、近くの岩の隙間から湧き出てきた清水を飲み、疲労回復とともに義務遂行の希望が生まれ、再び走り出す。人間不信の王を見返すために、自分を信じて疑わない友人の命を救うために、そして自分の命を捧げるために。

こうしてメロスは全力で、体力の限界まで達するほどに走り続け、日没直前、今まさにセリヌンティウスが磔にされようとするところに到着し、約束を果たす。セリヌンティウスに、ただ1度だけ裏切ろうとしたことを告げて詫び、セリヌンティウスも1度だけメロスを疑ったことを告げて詫びる。そして、彼らの真の友情を見た王は改心し、2人を釈放する。

基になった伝承とその系譜

デイモンとピシアス、H.A.Guerber The story of Greeks、1896年

作品の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、古代ギリシャの伝承とドイツの「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーの詩を基に創作したことが明らかにされている。

『走れメロス』のもとになった伝承は、杉田英明によると、古代ギリシャのピタゴラス派の教団員の間の団結の固さを示す逸話として発生したものである。広義の地中海・中東世界で発展し、日本に伝わった。杉田は著作で、伝承の発生と広がり、日本への伝来の経緯を詳細に論じている[2]

ピタゴラス派は宗教・政治団体の性格を持つ秘密結社を組織しており、構成員は財産を共有して共同生活を行い、強い友愛の絆で結ばれていることで知られていた。杉田が伝承のもっとも初期の一つとして挙げている新プラトン主義者のイアンブリコス(240年頃 - 325年頃)の『ピタゴラス伝』では、ディオニュシオス2世が治めるシチリア島のシュラクサイが舞台となっており、のちにコリントスに追放されたディオニュシオス2世が体験談として哲学者・音楽理論家のアリストクセノス(前4世紀頃)に語ったものであるとされている。ピタゴラス派の教団員ダモン(デイモン)とフィンティアス(ピシアス)の友情の美談[注 5]であり、西洋ではメロスとセリヌンティウスよりこちらの名前が有名である。デイモンとピシアスの名は固い友情で結ばれた親友を意味する慣用句として使われている[3]

『ピタゴラス伝』に収録された内容は次のとおりである。ピタゴラス派に反感を持つ者たちの事実無根の告発または冗談により、フィンティアスがディオニュシオス2世より、王に対し陰謀をたくらんだ罪で死刑を申し渡される(フィンティアスの反応を見るための芝居である)。フィンティアスは身辺整理のため、その日の残り時間を猶予として願い、ダモンを保証人に指名する。事情を聴いたダモンは保証人を引き受け、このたくらみを行った者たちはお前は結局見捨てられるとダモンを嘲笑する。日が沈みかけた頃フィンティアスは現れ、皆は感動し魅了される。ディオニュシオス2世は「わしも第三の男として友情に加えてほしい」と頼むが、拒否される。フィンティアスやダモンの深い心理描写はなく、最後にフィンティアスが許されたかどうか明らかにされていない。物語というより実際あった事件の報告といった趣で、フィンティアスが走って現れる描写もない。一方、紀元前1世紀の歴史家ディオドロス・スィケロスの『世界史』に残された伝承は、イアンブリコスのものと影響し合うことなく成立したと思われるが、より物語性が強く緊迫した内容で、フィンティアスが刻限ぎりぎりに登場するなど、『走れメロス』に近くなっている。「わしも第三の男として友情に加えてほしい」という台詞はイアンブリコスのものと共通しており、この言葉は以後シラー、太宰まで伝承されている。ウァレリウス・マクスィムス英語版(1世紀)が『著名言行録英語版』で、ヒュギヌス(2世紀)が『説話集』で、この伝承に文学的装飾を施し、後世に大きな影響を与えた。ヒュギヌスは『説話集』「友情で最も固く結ばれた者たち」でフィンティアスとダモンの名をモイロス[注 6]とセリヌンティオス[注 7]に変え(モイロスがドイツ語圏でメーロスとなった)、ピタゴラス派の団員という設定を消した。また、3日間という猶予、妹の婚礼、暴風雨による川の氾濫という障害を追加し、処刑方法を具体的に磔刑にした。ヒュギヌスの作品が、シラーが直接典拠にしたものである[2]

ギリシャ・ローマ世界で広く流布した友情物語は、舞台設定や登場人物を変えながら中東アラブ世界に広まり、9世紀から10世紀にアラビア語で記録されるようになった。杉田は、アラブ世界に流入した経緯や時期は不明であり、ビザンツ文化と共に伝承した可能性もあるが、「アッバース朝最盛期のギリシア文献の翻訳時代に、その担い手であるネストリウス派キリスト教徒の手で移入された可能性の方が大きいかもしれない」と述べている。イスファハーニー『歌謡集』に中東アラブ世界における初期の形が見られ、『千夜一夜物語』でも「ウマル・アル=アッターブと若い牧人との話」(第395 - 397話)として、イスラム時代を舞台に変奏しつつ展開されている[2]

中世の地中海・中東世界で発展した伝承は、ヨーロッパに流入し復活した。杉田は、ヨーロッパでの復活は14世紀以降と思われ、ウァレリウス・マクスィムス(1世紀)『著名言行録』がキリスト教の僧侶が説教を行う際の手引きとして活用されたことが大きいと述べている。様々な媒体で伝承は広く流布し、18世紀末の1799年にシラーの「人質」が発表された[2]

太宰は、小栗孝則(20世紀前半の独文学者)が1937年(昭和12年)7月に訳したシラーのバラード Die Bürgschaftの初版[注 8]「人質」(『新編シラー詩抄』改造文庫)を参考にした[6]。小栗は訳注にメロスの友人の名がセリヌンティウスであることを記しており、太宰の書く「古伝説」とはこれを指す[3]

日本では太宰以前に、明治初期に幕末を舞台にした翻案(シラーの詩を直接的にか間接的にか参照したと思われるもの)があり、この伝承は青少年の道徳心を育てる目的で学校教育に採用され、広く読まれた。太宰が使った高等小学校1年生の国語の教科書にも「真の知己」のタイトルで収録されており、鈴木三重吉1910年明治43年)11月「デイモンとピシアス」のタイトルで1920年に『赤い鳥』に発表している[7]。「走れメロス」登場後は、教育で使われるのは同作になり、戦後はほぼずっと中学校の国語の教科書で使われている[2]


注釈

  1. ^ メロスの職業を牧人とするのは太宰の創作[3]
  2. ^ メロスにはすでに両親はなく、妹と2人暮らしで、妹の結婚もメロスが取り仕切ることになっている。
  3. ^ 現在のシラクサ(Siracusa)。イタリア半島の南に位置するシチリア島の中心都市。ドイツ語ではSyrakusと綴られる。
  4. ^ メロスは、彼の命が欲しいと言う山賊を王の差し向けた刺客と見做すが、真相は不明。
  5. ^ ドイツ語版Damon und Phintias、英語版Damon and Pythiasを参照。
  6. ^ 「壁」「市壁」を意味する。
  7. ^ 元々シチリア島南西岸の町セリヌスから派生した形容詞で、その出身者という意味を込めていると思われる[2]
  8. ^ 伝承の人物の名はヨーロッパではDamonとPythiasが有名であったため、シラーは初版の後作品名をDamon und Pythiasに改訂し、主人公名もDamonに改めた[5]
  9. ^ 「走れメロス」音楽祭実行委員会の主催[12]。地元音楽関係者、弘前ペンクラブや弘前読書人倶楽部有志らにより構成。

出典

  1. ^ 『太宰治全集 第3巻』筑摩書房、1989年10月25日、423頁。山内祥史による「解題」より。
  2. ^ a b c d e f g h 杉田 2002.
  3. ^ a b c 五之治 1999, pp. 39-59.
  4. ^ 西井奨. “西洋古典と『走れメロス』(2)”. 日本西洋古典学会 公式ホームページ. 日本西洋古典学会. 2021年9月29日閲覧。
  5. ^ Friedrich Schiller, Damon und Pythias, 1799”. NETZFIT. 2021年9月29日閲覧。
  6. ^ 「太宰治が「走れメロス」の着想を得たというシルレル(シラー)の「担保」という詩を探している。」 - レファレンス協同データベース
  7. ^ 『デイモンとピシアス』:新字新仮名 - 青空文庫
  8. ^ 太宰治『走れメロス 畜犬談』5、西田敏行(朗読)〈太宰治作品集 文芸カセット 日本近代文学シリーズ〉、1988年6月6日、カセットテープ。ISBN 978-40012002562021年9月29日閲覧。
  9. ^ 太宰治『朗読の時間 太宰治』市原悦子(朗読)、東京書籍〈朗読CD付き名作文学シリーズ〉、2011年8月23日、CD。ISBN 978-4-487-80592-12021年9月29日閲覧。
  10. ^ すべてに一生懸命で憎めないキャラクターの‘高校生メロス’が登場! 手越祐也さんが‘走れメロス’衣装で出演 大塚食品 「マッチ」新CM 6月18日(土)から全国の各放送局にて放映開始”. PR TIMES. 大塚食品 (2011年6月17日). 2021年9月29日閲覧。
  11. ^ 手越祐也扮する“高校生メロス”「マッチ」新CM、今度は親友の海水パンツから逃げる!”. クランクイン! (2012年5月25日). 2021年9月29日閲覧。
  12. ^ 「走れメロス音楽祭」を開催したい。太宰ファンのみなさまご協力ください!”. CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (2017年2月23日). 2021年9月29日閲覧。
  13. ^ 25日、弘前市で「走れメロス音楽祭」”. Web東奥. 東奥日報 (2017年6月22日). 2017年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月11日閲覧。
  14. ^ 「走れメロス」音楽で表現 ”. 陸奥新報 (2017年6月27日). 2021年9月29日閲覧。
  15. ^ 村田一真「メロスの全力を検証」 - 2013年度 塩野直道記念 第1回「算数・数学の自由研究」作品コンクール 最優秀賞「塩野直道賞 中学校の部」受賞作品”. 過去の受賞作品. 一般財団法人 理数教育研究所 Rimse. 2021年9月29日閲覧。
  16. ^ 「走れメロス」は走っていなかった!? 中学生が「メロスの全力を検証」した結果が見事に徒歩”. ねとらぼ. ITmedia (2014年2月6日). 2021年9月29日閲覧。


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