杉村春子 受賞

杉村春子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 14:27 UTC 版)

受賞

出演作品

映画

大曾根家の朝』(1946年)
わが青春に悔なし』(1946年)
手をつなぐ子等』(1948年)
晩春』(1949年)
東京物語』(1953年)
流れる』(1956年)

テレビドラマ

舞台

年月日は、杉村が最初に演じたときのものである[21]

「女の一生」以前

最初は端役やスタアが演じないような老け役、そして、だんだんと重要な役を演じるようになっていく。

  • 彼女(1927年4月)築地小劇場藤森成吉の「何が彼女をさうさせたか」を、当局の要請により改題して上演したもの。杉村の初舞台。ただし、台詞は無く、舞台上でオルガンを弾くだけの役であった。初めてセリフを発したのは同年の「リリウム」[19]
  • 富島松五郎伝(1942年5月、主役松五郎の相手役・吉岡良子役)文学座。翌年映画化(無法松の一生)されることになる岩下俊作の小説を舞台化。森本薫による脚色。
  • 北京の幽霊(1943年2月、會伸英(女官)役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。戦時下に書かれた風刺劇。
  • 鳥獣合戦(1944年10月、梟(ふくろう)ハラグ大使役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。鳥と動物とが戦うという風刺劇。戦時体制に対するシニカルな姿勢がうかがえる作品であり、その上演をめぐって検閲機関ともめたという。

最初の充実期

後に再演が繰り返され代表作となる作品に、次々出会う。

  • 女の一生(1945年4月、主役・布引けい役)文学座。森本薫のオリジナル戯曲。初演時の台本は、戦後版とはいくつかの点で大きな違いがある。渋谷の映画館を借りて行なわれた初演(当初上演劇場に予定された国民新劇場〈戦時体制で築地小劇場から改称〉は、1945年3月10日の空襲で焼失していた)は、上演中に空襲警報で中断されることも度々であったという(※TV放送のため収録された、1961年当時の記録映像が現存する。2度にわたる分裂/大量脱退以前の公演であるため、資料的にも価値があると考えられる。杉村の死後、NHKで再放送され、DVDとしても発売された)。上演回数947回。文学座が歩んできた歴史そのものといえる文学座にとって最も大切な「財産演目」[出典 62]。「女の一生」は空襲が酷くなった1944年暮れに既婚者である森本が愛人の杉村のために書いたもので[32]、空襲が激しいため、速筆の森本が2–3枚書いたら、杉村か劇団の若い座員がカバンに入れて劇団に持ち帰りコピーを取った[32]。脱稿にあたり、杉村は感謝を伝えたくて、森本は酒を飲まないため、ちょうどもち米小豆配給があり、おはぎを生まれて初めて作った[32]隣組の奥さんに作り方を習って、押し入れの中で電気コンロを使って煮た。当時電気コンロは使用が禁止されていた。森本はおはぎを喜んで食べた。上演は最初で最後、みんな死ぬかも知れないと文学座にいる人は全員出演するようにしようと、演出の戌井市郎や研究生だった椎野英之らも出た[32]。最初は築地小劇場(国民新劇場)でやることになり、1945年3月10日に稽古を始めた晩に同所は大空襲で焼けた。東宝映画劇場は東京で唯一焼けていなかった劇場で、文学座で貯めていた1万円を持って杉村らが東宝に「芝居をやらせて下さい」と直談判に行った[32]久保田万太郎渋沢秀雄佐藤一郎らが骨を折り、「おカネはいらない。使わせてやる」と東宝から回答を得た[32]。東宝の関係で大道具帝劇の大道具部が作ったが、夜中に牛車で運んだため、夜中の雨で大道具が濡れ、障子などがダメになった。このため小道具は近所に住んでいた戌井の家から持って来た。杉村は大空襲の最中でお客は一人も来ないんじゃないかな、と思っていたら凄い数のお客が来て、舞台美術の修復に手間取り、まだ準備は出来てないのにお客が入って来て、テンヤワンヤで初日の幕が上がった[32]。いきなり空襲警報が鳴り、お客を避難させ、座員は楽屋で待機した。舞台で死ぬなら全員それでいいという気持ちから、防空壕には入らなかった[32]。警報解除になると続きを始めるが、空襲警報が何度も続くため、昼夜2回公演で6日間だったが、特に夜公演は空襲のため、半分出来たらいい方で、1日1回半のような公演だった[32]日暮里方面が焼けたとき、そこへ住んでいた宮口精二が来ない日もあった[32]。やる方も観る方も命懸けで、来る人は本当に芝居が好きな人で、後で戸坂康二も三島由紀夫も観に来たと聞き、杉村は「あんな状況で芝居を演ることは国賊みたいに言われた時代で、あんな思いをしてやったけど、ああやってよかった、あの不備な芝居を観に来て下さった」と感激した[32]。同公演は戦中最後の新劇公演だった[32]戦後、杉村は森本が亡くなる直前に京都の森本を訪ね、「戦争が終わったから芝居がやれる。『女の一生』どうかしらん」と言うと森本は「あれは情報局の委嘱作品で『大東亜八大原則を入れろ』という条件で書いたんだ。自分としては十分に書けてると思わない。それに戦争中だから女を書くことにも制約があった。自分の書きたかった女が書けてない。今度もう一つ、もっといろんなものが入ってる『女の一生』を書いてあげるよ」と言ったという[32]。「女の一生」は基本11人でやる芝居で舞台も定式舞台があればどこでも出来ることから、500回のうち200回は汽車にぶら下がったりして地方公演を行った[32]。小学校の裁縫室に畳を持ち込んでやったこともある[32]。遠隔地では途中で座員みんなで野宿した[32]。こういう場所でやるとお客がワイワイ言ってうるさいため、杉村が舞台から大声で「静かに!」と怒鳴ったこともある[32]北九州八幡製鉄所でやった公演では、杉村は知らされていなかったが、それは家族慰安会で、呑んで酔っぱらう者はいるし、子どもは走り回るし、16歳の少女の格好をするため、お客が爆笑し、一度だけお客と大喧嘩になったという[32]
  • 華々しき一族(1950年5月、主役・諏訪役)文学座。森本薫のオリジナル戯曲。1935年に発表されたが未上演であったもの。上演回数309回。
  • 月は銅鑼なり(昼の部)、七色の虹(夜の部)(1950年12月、役不明)新橋演舞場。新生新派と文学座の合同公演[19]。「月は銅鑼なり」は菅原卓作。演出は二作とも菅原卓。初代水谷八重子との初共演[19]
  • 欲望という名の電車(1953年3月、主役のブランチ・デュボア役)文学座[34]テネシー・ウィリアムズのオリジナル戯曲、日本初演。上演回数594回[121]
  • 二号(1954年11月、主役・御園とく役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。コメディ。

三島由紀夫との時代

後に起こった文学座と三島とのトラブルにより、杉村はこの時期以外にはこれらの作品を演じていない。

  • 鹿鳴館(1956年11月、主役・影山朝子役)文学座創立20周年記念公演。三島由紀夫が杉村のために書いたオリジナル戯曲[出典 63]。後に新派・さまざまな商業演劇・劇団四季などによって上演される当戯曲の、これが初演になる。
  • 大障碍(だい・しょうがい)(1957年4月、主役・岑子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 薔薇と海賊(1958年7月、主役・楓阿里子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 熱帯樹(1960年1月、主役・律子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 十日の菊(1961年11月、主役・奥山菊役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • トスカ(1963年6月、主役・トスカ役)文学座。ヴィクトリアン・サルドゥの原作を、三島由紀夫が潤色したもの。11月に三島が退座した(⇒喜びの琴事件)ために、これが三島との最後の作品になった。

円熟・絶頂期

文学座公演として、レパートリーとなった代表作や新作に主演しながら、商業演劇にも数多く出演。商業演劇のスタアたちと同格の主演として舞台に立つ。

  • 糺河原(1967年5月、日野富子役)大手町サンケイホール。西川永子の舞踊リサイタルの客演[122]。一部から「何も舞踊にも手を出さなくても。"杉村女王"には劇団の内政に熱を入れて欲しい」などと批判された[122]
  • 華岡青洲の妻(1970年6月、主役・於継役)文学座。有吉佐和子の同名原作を、有吉が自身で戯曲化したもの。初演は1967年の東宝公演、主演は山田五十鈴であった。杉村がその演目のオリジナル・キャストではないという意味で、杉村の当たり役の中では珍しい演目(翻訳劇を除く)。上演回数634回。姑の嫁いびりの演技に客席から「引っ込めー」「死んでしまえー」の怒声が飛び交ったが、中日劇場の6月28日千秋楽は昼の部だけの公演を夜の部が追加され、6月18日から28日で2万人動員し、その後全国巡演で22万人動員した[123]
  • ふるあめりかに袖はぬらさじ(1972年12月、主役・お園役)文学座。有吉佐和子の短篇「亀遊の死」を、有吉が自身で戯曲化したもの[出典 64]。初演。上演回数365回。芸者お園を演じるために三味線を1年練習「三味線をマスターするまで舞台に立たない。」[123]
  • [既出]華岡青洲の妻(1973年5月、於継役)新派公演への客演。中村勘三郎の青洲、水谷八重子の加恵というキャスティング。
  • 怪談 牡丹燈籠(1974年8月、お峰・お米の二役)文学座。三遊亭圓朝の怪談噺を、大西信行が杉村に請われて脚色したもの[124]。コメディ。
  • 夢・桃中軒牛右衛門の(1976年2月)東横劇場。作・宮本研。浪曲師桃中軒牛右衛門こと、宮崎滔天を主人公とした創作劇で、辛亥革命の大立者が続々登場する。杉村は数次の訪中歴を持つ親中家で、日中友好団体の優等生と見られていたが、公演の5日前に中国大使館から公演中止の抗議があった[125]。抗議は現存の指導者だった毛沢東の扱いを巡るもので、辛亥革命を茶番化しているという内容であった。文学座は3度中国大使館と交渉を持ったが意見の一致を見ず、一部の抗議を受け入れ上演した[125]
  • [既出]怪談 牡丹燈籠(1976年4月、お峰・お米の二役)松竹公演。尾上松緑との初顔合わせ[126]
  • やどかり(1978年1月、向井さつ子役)東宝公演。作・榎本滋民。山田五十鈴と、舞台での初共演[127]。映画では『流れる』がある。山田の新劇出演は1959年の「関漢卿」以来。
  • 日の浦姫物語(1978年7月、日の浦姫役)作・井上ひさし[128]。15歳の少女から50歳過ぎまでを演じた[45]
  • 風流浮世ぶし(1979年1月、おみね役)新派公演。作・川口松太郎。水谷八重子との最後の共演。
  • ターリン行きの船(1979年3月、主役のリージャ・ワシリーナ役)サンシャイン劇場[129]。作・アレクセイ・アルブーゾフ「古風なコメディ」を改題。尾上松緑 (2代目)との2人芝居で、サナトリウムの65歳の院長と、そこへ保養にきた60歳近い独身女性との、ほのかな恋物語。1980年3月にも同じサンシャイン劇場で再演された[129]。1980年6月には越路吹雪米倉斉加年のコンビで同じ作品を原題の「古風なコメディ」で、西武劇場で上演され「真っ向からの競演」と話題を呼んだ[129]。 
  • 月夜の海(1979年11月、由良琴女役)東宝公演。作・小幡欣治。山田五十鈴との共演。
  • [既出]欲望という名の電車(1980年5月)日生劇場。この時点で430余回の上演を重ねていたが、『女の一生』が杉村以外の配役が随時変わってきたのに対して、『欲望という名の電車』はこれまで杉村のブランチ、北村和夫のスタンレーは不変であった。しかしこの公演で杉村の希望により初めてスタンレーを江守徹にした[出典 65]。北村はミッチという脇役にまわった[注釈 5]
  • 新釈 金色夜叉(1981年9月、赤樫満枝役)三越劇場。作・宮本研。宮本が文学座に最初に書き下ろしたもので、二年後に新派で初上演された[131]尾崎紅葉の『金色夜叉』では脇役にすぎない高利貸しの赤樫満枝を杉村がお宮に代わり主人公格で演じるスピンオフ的作品[132]
  • 路地に咲く花(1982年6月、おかね役)松竹公演。歌舞伎の演目を大西信行が脚色したもの。尾上松緑との共演。
  • 横浜物語(1983年8月)三越劇場。作・八木柊一郎。八木が杉村のために書きおろした創作劇。明治の末、東西の架け橋になろうと自らアメリカの法律家と結婚するが、混血児を持って苦労する母親の役。
  • ウェストサイドワルツ(1985年2月、主役・マーガレット役)文学座。アーネスト・トンプソンのオリジナル戯曲。
  • 浮巣(1985年6月、おけい役)東宝公演[94]。作・八木柊一郎。森光子と、舞台での初共演。
  • 木瓜(ぼけ)の花(1986年11月、木村正子役)東宝公演。有吉佐和子の同名小説を、大藪郁子が脚色したもの。森光子との共演。

最後の10年

「女の一生」を文学座内で平淑恵に継承(杉村生前の1996年に平主演の公演があった)。商業演劇での活躍も続き、スタアとの共演ではない大劇場での単独主演も行なう。89歳まで新作公演に出演、90歳まで主演舞台に立った。

  • [既出]欲望という名の電車(1987年2月、主役のブランチ・デュボア役)文学座創立50周年記念公演。杉村による最後の上演。
  • 流れる(1988年4月、染香役)東宝公演。幸田文の同名小説を、平岩弓枝が脚色したもの。山田五十鈴との共演。
  • 花霞(1990年4月、秀千代役)東宝公演。作・川口松太郎、脚色・戌井市郎。森光子との共演。
  • [既出]女の一生(1990年6月、主役・布引けい役)文学座。杉村による最後の上演。初演:1945年(昭和20年)4月~終演:1990年(平成2年)6月 45年間ロングラン上演記録
  • 恋ぶみ屋一葉(1992年6月、主役・前田奈津役)松竹公演。斎藤雅文のオリジナル戯曲[133]
  • 晩菊(1993年3月、主役・相沢しの役)東宝公演。林芙美子の同名小説を、山崎圓が脚色したもの。
  • [既出]ふるあめりかに袖はぬらさじ(1994年9月、主役・お園役)文学座。杉村による最後の上演。
  • 絹布の法被(けんぷのはっぴ)(1995年2月)文学座。江守徹のオリジナル戯曲。杉村にとって、最後の新作公演。
  • [既出]華岡青洲の妻(1996年1月、主役・於継役)文学座。杉村による最後の上演。
  • [既出]華々しき一族(1996年9月、主役・諏訪役)文学座。杉村による最後の上演。また、この演目での旅公演(最終日は1996年12月12日)が、杉村自身にとっても最後の舞台となった。

1997年には、3月に新橋演舞場で「華岡青洲の妻」(松竹公演。杉村主演としてチケットはすでに発売されていた。藤間紫が代役で於継を演じた)、5月に紀伊國屋サザンシアターで文学座60周年記念舞台「柘榴のある家」(新作、文学座公演)、9-10月には芸術座で「もず」(東宝公演、山岡久乃と舞台での初共演)などが予定されていた。 また、主演連続ドラマ「棘 おんなの遺言状」(NHK 竹山洋脚本 大竹しのぶ、島田正吾共演)は第1回収録途中に病気降板。没後10年のBS特集番組でその一部が放送された。

ラジオドラマ

テレビ番組

  • すばらしき仲間「女優として女として」(1986年、CBCテレビ) - 山田五十鈴と出演[135]
  • テレビ・私の履歴書「杉村春子」(1987年、テレビ東京)[136]
  • 芸を語る「杉村春子 「女の一生」と私」(1988年、NHK)[137]
  • 舞台ひとすじ・女優杉村春子の世界(1994年、NHK) - インタビューと舞台中継
    • 「夜のキャンヴァス」「ふりだした雪」[138]
    • 「女の一生」[139]
    • 「宵庚申思いの短夜」[140]
    • 「桜の園」[141]
    • 「怪談牡丹灯籠」[142]
    • 「華々しき一族」[143]

著書


注釈

  1. ^ 杉村は「布引けいはあたしと一緒になってるみたいで…」と述べている[32]
  2. ^ 「『浪子』はほとんどセリフがない役だったので、自分としては『浅草の灯』が最初の作品」と杉村は話していたという[70]
  3. ^ 半年がかりの撮影で当時の新劇ではほとんどなかった高額の千円のギャラ。夫に自分のものにしないで劇団員で分けたらといわれた(週刊朝日1978年1月6日号、130-135頁)。
  4. ^ 裏番組が高視聴率番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」だったため、日テレの平林邦介プロデューサーが「若い人を使っても『欽ドン!』には勝てない。今までお年寄りが三人もからんだドラマはなかったので」と、杉村75歳、沢村貞子73歳、山岡久乃55歳、合わせて203歳を、"イモ欽トリオ"の向こうをはり、"年金トリオ"と名付けて売り出した(週刊サンケイ、1981年11月19日、32頁)。
  5. ^ 杉村はその理由について「新しいスタンレー役者が出来たということです。今の江守さんはスタンレー役にぴったりだと思います。もうひとつは、非常に重要な役のはずのミッチに、これまで人を得なかったことです。これまでなさった方には悪いですが、そのことがいつも気になっていました。北村さんにミッチ役をやってもらいたい。この二つの理由で配役を新しくしてもらいました」と話した。北村も江守も困惑し、江守は「北村さんが不在ならともかく、いらっしゃる前での稽古するわけですから。そりゃ嫌なものですよ」と話した。水落潔は、「そこに杉村春子の『修羅の如き』女優魂を感じた。おそらく最後かもしれない『欲望...』を、十分承知しながら、新しい配役で新しい舞台をつくろうとしている。その裏には文学座の将来を思っての体制つくりという含みがある。杉村の役にかける執念と情熱。その凄まじさは、敬服すべきものがある」と評した[130]
  6. ^ 広島女学院の代用教員時代の教え子。広島女学院付属小学校に通っていた中原とは生涯にわたり交遊を持った[148]
  7. ^ 広島女学院の代用教員時代の教え子[19]

出典

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