B級2組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:54 UTC 版)
順位戦最多連勝記録 森内俊之は、1990年(第49期)C級2組2局目で松浦隆一に敗れた後、3局目から10局目まで8連勝。翌1991年(第50期)はC級1組に昇級し、10戦全勝。1992年(第51)はB級2組に昇級し、9局目の佐伯昌優に敗れるまで8連勝を達成。C級2組からB級2組で最多連勝記録の26連勝を達成した。尚この佐伯の1敗により、9勝1敗で3人が並び頭はねをくらいB級1組への昇級を逃した。 B級2組からC級1組に5人同時降級(第74期) 第74期(2015年度)B級2組では、一度に5人の棋士がC級1組に降級となった。この期は参加者が26人(降級点の枠は5人)で、降級点持ちは青野照市・島朗・窪田義行・安用寺孝功・杉本昌隆・豊川孝弘・高橋道雄・中田宏樹の8人であった。そのうち青野は前期・当期の2期連続で5勝5敗と指し分け、規定により降級点を抹消したが、他の7人は序盤から負けが込んだ結果、島・安用寺・杉本・豊川・高橋の5人が降級点2つ累積により、C級1組に降級することとなった。B級2組以下に降級点制度が導入された第17期(1962年度)以降、3人の棋士がB級2組からC級1組に同時に降級したのは、第23期(1968年度)・第30期(1975年度)・第48期(1989年度)の3回だけであり、4人以上が同時に降級したケースは皆無であったが、当期はそれらの記録を大幅に更新した。また、同一の順位戦クラスにおいて降級点を喫した棋士が全員降級点を持っていたケースも、全クラスを通じて史上初のケースであった。なお、この珍事に因り、翌第75期(2016年度)はB級2組の降級点の枠が1名減り、更に窪田・中田がいずれも降級点を喫さなかったため、C級1組への降級者がなしという、B級2組では8例目の事態が発生した。さらに第77期には、C級1組からC級2組へ5人同時に降級する珍事(泉正樹・近藤正和・田中寅彦・富岡英作・福崎文吾が降級)も起きている。 順位戦全勝の最年長記録を更新(第76期) 第76期(2017年度)B級2組では、当時44歳の野月浩貴が10戦全勝(不戦勝1つを含む)で昇級を決めたが、従来の順位戦における最年長全勝記録は第64期(2005年度)B級2組の畠山鎮・第75期(2016年度)C級1組の横山泰明の2人が記録した36歳であり、野月が大幅に記録を更新した。
※この「B級2組」の解説は、「順位戦」の解説の一部です。
「B級2組」を含む「順位戦」の記事については、「順位戦」の概要を参照ください。
B級2組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:50 UTC 版)
横溝億泰(よこみぞ おくやす) 声 - 阪口大助 30代。七段。細身で眼鏡をかけている。登場して以来スミスや一砂とつるむ描写が多く、零とも絡むことが増えた。気さくでコミュニケーション力が高く、零にも勝利の言葉をかけたり、初めての将棋イベントに参加する零に人との接し方をアドバイスしたりするなど明るく接している。 初心者への指導将棋が上手であると評され、相手にヒントを出したり端の人間まで愉快にさせたりするのがうまく、大盤解説などで解説を担当する際は場を盛り上げることに長けた司会の達人。B級1組の順位戦最終局で滑川に敗れ、B級2組への降級が決まり、それ以来滑川が苦手になった。師匠からの言葉「女は裏切っても、駒得は裏切らない」。あかりに好意を抱いている。 三角龍雪(みすみ たつゆき) 声 - 杉田智和 / 演 - 中村倫也 26歳。六段。通称「スミス」。身長180センチメートル。軽妙な棋風で風車を得意とする。飄々とした人物で、零を後輩として可愛がっている一方、棋士としては一目置いている。外見は金髪のおかっぱで眼鏡をかけており顎鬚が生えている。 本作の将棋パートにおいて、しばしば狂言回し的な役回りをしている。 一砂とは気が合うらしく、彼を「いっちゃん」と呼んで行動を共にしている描写が多い。後藤との対局に敗北した後に子猫を拾い、苺の箱に入っていたことから「いちご(声 - 西明日香)」と名づけて飼っている。初めはあまり乗り気ではなかったものの、今では目にいれても痛くないほど溺愛している。ただし、いまいち懐かれていない。 一砂ほどあからさまではないがあかりに好意を抱いており、零をダシにあかりとお近づきになったり予定を聞きだそうとしたりした。 入江健一郎(いりえ けんいちろう) B級2組3年目の棋士。23歳でプロ入り後、B級2組への昇級には20年を費やした。プロ入り23年目にして、その勝率は6割2分以上。小学生の時に体験した遠泳で溺れかけた経験から、決してパニックを起こさず常に冷静でいることを心がける。甘党で、対局の休憩中に温かい缶入り汁粉を飲む習慣を持つ。また、対局後には、ウイスキーを遠泳の思い出の冷やし飴で割ったものをたしなんでいる。 滑川臨也(なめりかわ いざや) 35歳。七段。実家は葬儀屋を営む。痩身でいつも黒いスーツを着用し、その風貌などから「立てば不吉」「座れば不気味」「歩く姿は疫病神」と言われ疎まれるが、本人は人間がとても好きだと公言しており、誤解を受けることが多いのも気にしていない。 対局の場では勝敗だけでなく相手の「生を感じるあるがままの姿」を堪能することも重視しており、そのためならばあらゆる策を駆使する。特に相手にとって重要な対局でそれが顕著になるため、結果的に相手がペースを崩してしまうので「対局相手の望みとは逆の方向に連れて行く『死神』」と評されている。気に入った相手の場合はさらなる粘りを見せ、零との対局では「もっと長く楽しみたい」と千日手からの差し直しへ誘導しようとしまでした。 特定のモデルは存在しないが、行方尚史が「名前が似ている」と気にしていた旨を監修の先崎学がコミックス収録のコラムで記している。 田中太一郎(たなか たいちろう) 七段。初登場時点ではB級2組・52歳だが、同じ年度内にもかかわらずB級1組・54歳とされている場面もある。野火止の師匠にあたる。既婚者で、編集者の妻と、息子2人がいる。スミスとの絡みが多い。なぜか心の声で相手の心に直接語りかけることが多い(普通に喋っているシーンもある)。零の父親の奨励会時代を知る人物の一人でもある。 棋風は「鮮やかに受けつぶして勝つ」であったが、息子が大学生に成長した時期(1 - 2年ほど前)から「隙を見つけては躊躇なくアクセルを踏み込み攻撃に転じる」に変化、強さも以前より増した。 田中姓だが、『灼熱の時代』の田中七郎(田中名人)と血縁関係にあるかどうかは不明。 野火止あづさ(のびどめ あづさ) 21歳。六段。通称「あづにゃん」。太一郎の弟子だが、師匠には苦手意識を持つ。高校生でプロ入りしており、零や二海堂がプロ入りするまでは注目の的であった。それゆえ、零・二海堂とマスコミに対して強い敵愾心を抱いている。 二海堂への敗北、上位棋士と当たる機会が増えた辺りから自身の才能の壁にぶつかるが、並々ならぬ情熱と努力で克服。対局中においても熱さを見せつける。
※この「B級2組」の解説は、「3月のライオン」の解説の一部です。
「B級2組」を含む「3月のライオン」の記事については、「3月のライオン」の概要を参照ください。
- B級 2組のページへのリンク