田中七郎
田中七郎(たなか しちろう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:50 UTC 版)
「3月のライオン」の記事における「田中七郎(たなか しちろう)」の解説
十五世名人。1924年(大正13年)3月3日生まれ。1951年(昭和26年)に名人獲得以来、20年間タイトルを防衛し続ける。小作農の7人兄弟の末っ子として生まれ、体が小さくひ弱なため疎まれていたが、学校の上級生が将棋をやっていたのを見たことで将棋にのめり込み才能を開花させた。戦中にはガダルカナル島に投入され死地を彷徨うが、捕虜となって生還した過去を持つ。棋風は何の特徴もなく相手の攻めを全て受け続け反撃に転じる振り飛車。既婚者だが、妻(笛子)の存在が明かされたのは単行本9巻から。対局以外では、合間を縫って全国で講演会を実施するなど、笛子側が背負っていた多額の負債の返済に奔走した一面も持つ。第33期名人戦にて、神宮寺と8年ぶりに激突。序盤は3連敗と劣勢を強いられたが、相穴熊で2勝までは盛り返す。最終的には名人位を奪取されたが、その後も生涯A級を維持した。通算1433勝。晩年は癌に侵されており、本編の時間軸では故人となっている。亡くなる直前、将棋の鬼であったが故の代償と、神宮寺に対する本心を笛子に明かしている。大山康晴がモデルである。
※この「田中七郎(たなか しちろう)」の解説は、「3月のライオン」の解説の一部です。
「田中七郎(たなか しちろう)」を含む「3月のライオン」の記事については、「3月のライオン」の概要を参照ください。
- 田中七郎のページへのリンク